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法然上人と知恩院

伊藤唯眞猊下のお言葉

2015年6月

『信じて称えれば、形はととのう』総本山知恩院門跡 伊藤唯眞

法然上人が晩年に讃岐の国に配流になったときにもそばに仕えていた弟子に、随蓮(ずいれん)という人がいました。随蓮は法然上人から教えを聞く中で、「本願を信じる心こそが大切なのだ」と受け取っておりました。木を切ったり草を刈ったりということを生業とするような文字の読み書きを知らない人でも、阿弥陀さまを信じて念仏すればその心に必ず答えてくださる。そう理解していたわけです。

ところが、法然上人が亡くなられて2年が経った建保2年のころに、「学問をして三心(さんじん)を学んだうえで称えなければ、どれほど念仏を称えたところで往生できない」と言う人がありました。三心とは至誠心(しじょうしん)(いつわりのない心)、深心(じんしん)(自らのいたらなさを深く見つめ、阿弥陀さまの本願を深く信じる心)、廻向発願心(えこうほつがんしん)(善根や功徳を極楽往生に振り向ける心)です。これに対して随蓮は「法然上人は『お念仏の称え方には、定まった形がないことがひとつの形である』(※出典)とおっしゃった」と答えたという話があります。

法然上人の真意が随蓮の言うとおりだったことは、ご遺訓(ゆいくん)である一枚起請文を読むとわかります。そのなかでは、お念仏を称えるなかで三心が備わってくると示されています。そして「ただ一向に念仏すべし」という言葉でお念仏の要点を説いて遺言状を結ばれています。

身も心も投げ出して阿弥陀さまの本願を信じ、手には数珠をとって口には南無阿弥陀仏と称えていく。信じる心が深ければどのようにお念仏を称えていたとしても阿弥陀さまの救いがおのずと働き、正しい心構えが身についてくるのです。日々の生活の中心にお念仏を据えていただき、お念仏のなかにある生活を皆さまとともに過ごしていきたいと願う次第です。

 

※念仏はようなきをようとす。ただつねに念仏すれば、臨終にはかならず仏きたりてむかえて、極楽にはまいるなり。(「沙弥随蓮に示されける御詞」)



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