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法然上人と知恩院

伊藤唯眞猊下のお言葉

2015年11月

『遇い難き本願に遇う』総本山知恩院門跡 伊藤唯眞

お経を唱えるときには、三宝礼のなかで「仏・法・僧の三つに帰依します」と誓いますが、なかなか言葉の道理に自分の心や体を合わせていくのは難しいものです。しかし、私たちは反省し、至らなさに気付くとき、ただちに皆から支えられて生きているということにハッと気付きます。そこに仏教との出合いがあるといえます。正しく生きるのは難しいものですが、同信の者どうしが反省の念を持ちながら半歩、一歩、二歩と進んでいけるのが私たち人間だと思います。手をにぎって拳をぶつけ合うのではなく、合掌して平和を願っていくのが仏の道なのです。

法然上人のご法語に「一紙小消息(いっしこしょうそく)」というのがあります。そこには「受け難(がた)き人身(にんじん)を受けて、遇(あ)い難き本願に遇いて、発(おこ)し難き道心を発して、離れ難き輪廻の里を離れて、生まれ難き浄土に往生せん事、悦(よろこ)びのなかの悦びなり」と示されています。阿弥陀さまは多くの願を立てられましたが、その一つがあらゆる人々を救いとろうというものです。至らない私たちであっても、阿弥陀さまの慈悲のお気持ちに沿うべくお念仏をとなえたなら、心が豊かになり安らかになっていきます。その安らかな気持ちを今度は感謝の気持ちに変えて人生を終えるまで歩んでいき、最期を迎えたときには阿弥陀さまの本願によって、極楽世界へと生まれさせていただく。このような悦びは、お念仏の教えと出合った人のみに訪れるものです。

今年は戦後70年という節目です。70年前を振り返ると今とは比べようもないほど貧しい生活をしておりました。しかし、信仰があったおかげで、ご先祖からいただいた命を生きていこうと喜ぶことができました。今は物質的な豊かさに目を奪われがちな時代でありますが、物が栄えて心が滅びるなら空しいことです。阿弥陀さまの教えに出合った者どうしお念仏を伝えあい、精神的な世界を豊かに生きてまいりましょう。



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