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法然上人と知恩院

伊藤唯眞猊下のお言葉

2016年1月

『念仏の信根は相続で培う』総本山知恩院門跡 伊藤唯眞

明けましておめでとうございます。お健やかにご越年のことと存じます。年が改まると何も彼も新しく見えるのは自分の心が清新になっているからです。精魂こめた松の木などの盆栽を床の間に置いて、その前や横に翁の像を立てられるのは、それが年神さま、先祖神をあらわしているからです。新玉ならばこその風景です。床の間は神仏を祀る場所なのです。

ところで年の始めに考えておきたいことがあります。人は葩実(はじつ)(花と実)・枝葉に目をやって、根本を省みませんが、実はこの根が養土で培われていてこそ樹のいのちは保たれています。植物を大地に固定させ、地中の養分を吸収して、幹を太らせ、枝葉を成長させるのは、まさに根であります。根が腐朽すれば、植物は枯死します。

植物が根に支えられているように、人間にもまた「根」が必要です。人にとっての根とは信念、信仰、宗教です。信仰の根っ子、つまり「信根」があれば、人生の嵐にも耐えられましょう。立ち上がることもできましょう。木々の根が人目につかない地表下にあって幹を支えているように、信仰の根は人の内面に存在します。

「流れを挹(く)む者は緬(はるか)にその源を尋ね、枝葉を愛(いと)しむ者はその根を培わんとす」とは御忌鳳詔(ぎょきほうしょう)の一節です。「尋源培根」という言葉は、法然上人を慕う私たちにとって、心に留めておくべきキーワードです。

また浄土宗の二祖を継がれた聖光房弁長(しょうこうぼうべんちょう)上人の『浄土宗要集』には「流れを挹(く)みて源を尋ね、香を聞きて根を討(たず)ぬ」とありまして、土に隠れて見えない根ですが、その根こそを探し当てていくべきありようが示されています。

では、この大事な信仰の根が培われるのは何によってでしょうか。それはお念仏の「相続」によってです。法然上人は申されます。お念仏の「志ふかければ自然に相続はせらるる事なり」(「十二問答」より)と。相続のありようは人によって異なりましょうが、念仏の相続そのものが断ち切られて根が枯渇しないように、年頭に当たって心に思い定めようではありませんか。



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