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法然上人と知恩院

伊藤唯眞猊下のお言葉

2016年3月

『生活者としてのお念仏』総本山知恩院門跡 伊藤唯眞

上野(こうずけ)の国、いまの群馬県のあたりの御家人(ごけにん)で、大番(おおばん)役という御所を警備する役目をおおせつかって京都に来ていた薗田太郎成家(そのだのたろうしげいえ)という人がいました。御家人は武士でありますから、戦乱のなかで人を殺すこともありますし、鹿追いをして動物を殺すこともあります。おそらくはその罪悪感に悩んでいたのでしょう。成家は京都にいる間に法然上人をたよって出家し智明坊(ちみょうぼう)と称しました。

故郷に帰ってからはその教えを一族郎党二十人余りに伝えて皆を出家させ、晩年には弟の俊基(としもと)に教訓して「肉を食べるときにも一口ごとに念仏を申し、かみまぜなさい」「敵に向かって弓を引くときにも、念仏を称えることを忘れてはいけません」(※出典1)と言っています。武士は武士のままでお念仏して往生していけるという教えを心から喜び、罪悪感から少しでも解放されていたのです。

厳しい境遇に置かれている人のことを第一に考えて、教えを説かれていた法然上人のお言葉には、人々をあたたかく包み込む優しい味わいがございます。「たとえばお念仏以外のことを行うときも、お念仏を申しながらそれをしているのだと思いなさい。ほかのことをしながら念仏を称えるのだと思ってはいけません」(※出典2)と諭しておられるのも、その一つの例でしょう。

法然上人の教えにおいては、生活者としてのお念仏があります。生活と念仏というものが一体となっているのです。食事をするときにも、どんな仕事にたずさわっているときでも、念仏のなかに生きているように受け止めていく。私たちもまた、そういう考え方にもとづいてお念仏の生活に日々励んでいきたいものでございます。

 

※1 たとひ鹿(しし)・鳥を食(じき)すとも、念仏をばかみまぜて申すべし。たとひ敵にむかひて弓をひくとも、念仏をすつる事なかれ。(『法然上人絵伝』巻二十六第三段)

※2 縦(たとひ)余事をいとなむとも、念仏を申し申しこれをするおもひをなせ。余事をしし念仏すとは思べからず。(『法然上人絵伝』巻二十一第一段)



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