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法然上人と知恩院

伊藤唯眞猊下のお言葉

2017年6月

『我が身のためならず』総本山知恩院門跡 伊藤唯眞

法然上人の弟子になった熊谷直実(くまがいなおざね)(蓮生)は、晩年の元久元年(1204)に京都の鳥羽で上品上生(じょうぼんじょうしょう)(※)の往生(おうじょう)を遂げる誓願を立てました。京都の清凉寺に残されている自筆の願文には、「自分ひとりの往生を願うなら、下品下生の往生でよいが、すべての衆生を救い、阿弥陀如来の来迎による浄土に導くことができるのは、上品上生の往生である。それ以下の八品の往生なら願わない」と書かれています。

直実は、上品上生の往生を発願してからのち奇瑞の夢を見るたびに、そのことを法然上人に報告し、本当に往生する時にも瑞相が現れると、自信を深めていたようです。

法然上人は瑞夢に執する直実を危ぶまれ、驕(おご)りがあってはいけないと、弟子の証空を通して、「自分の死期を知って往生する人はこれまでも多くいたが、あなたほど世間を驚かせた人は他にありません。仏道には、魔がつくことがありますから心配です。よくよく用心して弥陀の本願力を信じ、念仏をしっかり称えるようにしなさい」と励ましておられます。直実は、法然上人の労(いた)わりを受け、上品往生を願いつつ、本願の念仏に励み、郷里の武蔵国(現・埼玉県熊谷市)で念仏の布教に努めました。

法然上人は、ある夜、上品上生の往生を遂げる直実の夢を見られ、すべての人を救いたいとの思いをひたすら上品上生の往生にかけた直実のまっすぐな心を受け止められました。夢で見た迎接の図を描き直実へ送られたところ、直実は一層念仏に励み、この図を本尊として往生したということです。(『迎接曼荼羅由来記(ごうしょうまんだらゆらいき)』)

建永元年(1206)、村岡の市(いち)で高札を立て、翌年の2月8日に往生を予言したものの、失敗。改めて予言した9月4日、音楽や振動、この世のものとは思えないすばらしい香りなどの奇瑞を伴いながら、見事に往生を遂げました。最後は法然上人から称賛され、評価される存在となった直実でした。

(※)『観無量寿経』には、往生者について、行業の優劣などにより、上品上生から下品下生まで9つの階位が説かれています。



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