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法然上人と知恩院

伊藤唯眞猊下のお言葉

2017年7・8月

『信じ称えて、お迎えを』総本山知恩院門跡 伊藤唯眞

津戸三郎為守(つのとさぶろうためもり)(尊願)は、建久6年(1195)、東大寺再建の落慶供養のため、頼朝公のお供として初めて京都を訪れました。そこで法然上人に出会い、念仏行者となります。

武蔵国に帰ってからもお念仏を称え続けたところ、ある人が「熊谷入道や津戸三郎は、学問のない者であるから念仏だけを勤めている。学問のある人は、必ずしも念仏に限るわけではない」と言っていたことを聞き、法然上人に相談します。「本願を信じて念仏を称えたならば、学問のある人もない人もみな必ず往生できます。どんな時にでも迷わず念仏をしてください。この世の人が念仏を称える以外の方法で、極楽の世界に生まれ、迷いの世界を逃れることは決してありません」と書かれた返事を見た為守は、より一層お念仏を称えるほかに何もしませんでした。その姿を見て、武蔵国で専修念仏を行じる人は三十余人にまで広がりました。仏のみ心は慈悲心を根本とします。お念仏に対する機と縁が熟したからこそ、それほどたくさんの専修の人たちが出たのだと法然上人は大変感心されました。

讃岐に流刑された法然上人から届いた手紙には、「今日明日死ぬかもしれない身が、このようなめぐりあわせになったことは、煩悩や苦しみの多いこの世の常です。ただ早く往生したいと思います。必ず極楽に共に生まれ合いましょう」と書かれていました。為守は、法然上人が往生された80歳と同じ年齢になり、極楽往生が慕わしく、穢土がいとわしい気持ちが日ごとに高まり、一日でも早く往生したいと思っていましたが、なかなか往生できず、毎日嘆いていました。

仁治(にんじ)4年(1243)正月13日の夜、法然上人が夢に現れ、15日の正午に極楽に迎えるとお告げになりました。為守は夢が覚めてから歓喜の涙を流しました。法然上人から頂いた袈裟をかけ、数珠を持って西方に向かい、姿勢を正して座り、合掌して、大きな声でお念仏を称えているうちに息が絶えたのでした。



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