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法然上人と知恩院

伊藤唯眞猊下のお言葉

2017年9月

『飾らない心でお念仏を』総本山知恩院門跡 伊藤唯眞

河内国(かわちのくに)(大阪府東部)の天野四郎(あまののしろう)は、大泥棒の頭で、年老いてから法然上人の弟子となり、教阿弥陀仏と名乗っていました。

ある日の夜中、法然上人の部屋から念仏を称える声が聞こえてきましたが、教阿弥陀仏が咳払いをすると同時に聞こえなくなりました。不思議に感じ、しばらく過ぎてから法然上人に尋ねると、次のようにお答えになりました。

「あの時の念仏こそ、そのまま往生できる念仏なのです。虚化(こけ)といって上辺(うわべ)をよく見せて称える念仏では往生できません。真実の心で称えるべきです。幼児や動物には自分をよく見せようとする心はないのですが、物事を弁(わきま)えるほどの人は皆、まわりに対して上辺を飾る心を起こしてしまいます。見かけを飾る心ほど往生の障りになるものはありません。

しかし、常に人と交わって外見を飾る心のある人が、周りに人がいない深夜にこっそり起きて百遍、千遍でもと数の多少は思いのままに称えるとすれば、その念仏にこそ外見を飾る心がないので、仏の意に相応し、往生は間違いありません。

このように念仏する呼吸がわかってくると、朝、昼、夜、またどこであろうとも、人に気兼(きがね)なく、往生を願う誠の念仏が称えられるのです。泥棒は盗もうと思う心を奥底にもっていても、不審な素振りを見せません。真実の念仏を称える飾らない心底もこれと同じで、人が多く集まる中でも、念仏を称える気配を見せないで、しかも忘れてはいけません。その時の念仏は仏がお知りになっています。それなら往生なんの疑いがありましょうや」

このお話を聞いて教阿弥陀仏は、夜中の師のお念仏の様子に対する自分の不審も解け、さらに飾り心に潜む念仏を避け、起すのが難しいとされる真実心の大切さについて納得し、大変喜びました。



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