English
文字サイズ フォント小フォント大

法然上人と知恩院

伊藤唯眞猊下のお言葉

2017年10月

『姿、形にとらわれないで』総本山知恩院門跡 伊藤唯眞

教阿弥陀仏(天野四郎)は法然上人から、うわべを飾った虚仮(こけ)の念仏では往生できず、つくろわない誠の真実心で称える念仏こそが仏の心に適うのだ、との教えを受けました。

そこで教阿弥陀仏は、他人の目を意識して装うような念仏の申し方では駄目であることを納得しましたが、さらに「では人前で数珠を繰ったり、口を働かすことはしてはならないのでしょうか」と質問しました。

上人はお答えになりました。「それは見当ちがいです。念仏は常に申すのが本来のありようです。善導大師も『念々相続せよ』と勧められています。人の中でうわべをつくろった念仏よりも、ひとり夜中にひそかに称える念仏に飾り心のないことを先に話しましたが、これは三心のなかの至誠心(しじょうしん)が発(お)こし難いので、その真実の心をもってほしいがためにたとえて申したのです。それ故うそ飾りなければ、人の中でもひとりでも念仏を称え、数珠を繰ることになんの支障もありません」と。

そこで教阿弥陀仏がまた尋ねました。「先にお話しがありましたように、夜お念仏を称える時には、必ず起きているべきでしょうか。また数珠、袈裟をつけていなければならないでしょうか」と。

上人は、「念仏の勤めは行・住・坐・臥どんな居住(いず)まいでも差しつかえありません。歩いていようとも、留まっていようと、座っていようと、寝ながらであろうと、自分の思う姿のままで、時と所に応じてお称えなさい。また念珠を執り袈裟を掛けることもその場によることであり、その時に応じたようにして称えたらよろしい。つまるところ、作法、振舞はどうあれ、今生で必ず往生しようと思って、真心から念仏を称えることのみが大切なのです」と仰せになりました。

この所伝は、もと盗賊であった天野四郎(教阿弥陀仏)への上人の対機説法としてよく知られています。



▲ ページのトップへ