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法然上人と知恩院

大遠忌の歴史


▲ 江戸時代の遠忌法要を記した
『華頂山大法会図録』より


▲ 700年遠忌の記念写真誌より

生前に「念仏の声するところ、みな予が遺跡なり」と言い、死後に供養を受けることを望まなかった法然上人でしたが、弟子たちはやはりご供養したいと思うものです。
50年ごとに、人々はお祖師様のご年忌を盛大にご供養してきたのでした。
古くは100回忌・200回忌の記録も残っています。
あいにく寛永10年(1633)の大火のときに、御影堂、集会堂、方丈などの堂宇とともに知恩院の古記録も焼失してしまいましたが、万治4年(1661)の450回忌以降のことは、書簡や図録などから様子を知ることができます。
法要の形態は、宝永8年(1711)の500回忌のときに定められて以来、平成23年(2011)の元祖法然上人800年大遠忌まで変わらず受け継がれております。しかし、図録や写真を見ると、参詣者の服装は時代とともに変わっています。
遠忌を迎える人々の想いも、時代時代で異なっていたことでしょう。

このページではその詳細をお伝えしてまいります。



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