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法然上人と知恩院

大遠忌の歴史

350年前(450、500回忌)

念願の大師号下賜と法式の確立

盛況だった450回忌のとき、当時の知恩院宮門跡 尊光法親王(そんこうほっしんのう)には1つの願いがありました。 それは、法然上人への贈官と勅会法要(ちょくえほうよう:朝廷から勅使を迎えての法要)によって遺徳を讃えたいということでした。 尊光法親王は幕府の内諾を取り付けようとはかったものの、残念ながらこのときはかなわぬ夢に終わります。

尊光法親王亡き後もこの願いがやむことはなく、幕府への上奏を重ねたところ、ご入滅から486年が経った元禄10年(1697)1月18日、 ついに「円光大師」の大師号が下賜されました。平安時代に朝廷と結びつきの強かった天台宗と真言宗では、「伝教大師」「弘法大師」などの宣下がありましたが、 それ以外の宗派では大師号の下賜は初めてのことでした。 当時知恩院の住職だった秀道(しゅうどう)上人は、あふれる喜びを「宗門の光花、比類なし」という言葉で記しています。

法然上人行状絵図』巻八段五

▲ 『法然上人行状絵図』巻八段五
法然上人は頭に円光をいただき、足元は蓮華の上を歩まれていた―――「円光大師」の由来となった事縁である


大師号の下賜に知恩院が沸いてから14年後の宝永8年(1711)には、法然上人の500回忌を迎えます。

このときも贈号と勅会法要によって遺徳を讃えたいという願いは強く、先の諡号(しごう)宣下からわずかの歳月しか経っておりませんが、 請願を出したところ認められ、「東漸(とうぜん)大師」と加諡(かし)されることとなりました。

知恩院における法然上人の遠忌は、ここに確立されることになります。500回忌以降の50年ごとの遠忌法要には必ず大師号が下賜されてきましたし、 勅会法要も万延2年(1861)の650回忌まで続きました。遠忌法要の形態についても、声明(しょうみょう)を中心とした法式が500回忌のときに整えられています。来る平成23年の800年大遠忌もこの法式を力強く継承いたします。

また、500回忌のときには、阿弥陀堂を御廟堂周辺より現在の位置に移し、御廟堂の修復と拝殿の新築も行っています。 霊元上皇ご親筆の「華頂山」の額が知恩院三門に掲げられたのもこのときでした。

法然上人の大師号 天皇 元号 西暦 回忌
圓光(えんこう)大師 東山天皇 元禄10 1697  
東漸(とうぜん)大師 中御門天皇 宝永8 1711 500回忌
慧成(えじょう)大師 桃園天皇 宝暦11 1761 550回忌
弘覚(こうかく)大師 光格天皇 文化8 1811 600回忌
慈教(じきょう)大師 孝明天皇 万延2 1861 650回忌
明照(めいしょう)大師 明治天皇 明治44 1911 700回忌
和順(わじゅん)大師 昭和天皇 昭和36 1961 750回忌

「華頂山」の額は知恩院三門に今も同じように掲げられている

▲ 「華頂山」の額は知恩院三門に今も同じように掲げられている


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