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法然上人と知恩院

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大遠忌の歴史

江戸時代(550、600、650回忌)

江戸時代の遠忌をめぐって

江戸時代の遠忌法要を記したものに『華頂山大法会図録』があり、550回忌、600回忌、650回忌と遠忌のたびごとに3度刊行されています。

その中には「勅使参堂の儀といい、勅修法会の式といい、またとない壮観で、浄土宗の盛事」であったと、その賑わいぶりが記されます。 勅使が御影堂中心に座りそれを満堂の僧侶が取り囲む図から、法要の厳粛さが伝わります。

『華頂山大法会図録』より「勅使贈号勅章宣揚」
▲ 『華頂山大法会図録』より「勅使贈号勅章宣揚」
中央に勅使を迎えての勅会法要


遠忌に参詣したのは僧侶だけではなく、大衆も多く含まれていました。鉦(しょう)を叩き太鼓を打ちながら六斎念仏(ろくさいねんぶつ:現在の楷定念仏の源流をなすもの) を愉しむ人々の姿が記録されています。

『華頂山大法会図録』より「六斎念仏修行の図」
▲ 『華頂山大法会図録』より「六斎念仏修行の図」
左上に見えるのは御影堂。拍子に合わせて踊る人々の姿が印象的である


ところで、この図録は、遠忌のたびごとに3度刊行されていながら、意外なことに、朝廷からの勅使の名前が変わっているなどの若干の改訂以外は、 図と文章にほとんど変更がありません。遠忌の様式が確立され、固定化されたことを示すものと考えられます。 一方、その陰で、法然上人の命日法要である御忌法要が浄土宗内で広くつとめられ、本山参りも盛んになるよう―特に、 遠忌の前後の時期に―努力がなされていたことは見逃せません。その証拠となるものを2つ紹介しましょう。

まず1つは、法然上人ゆかりの二十五霊場めぐりです。

法然上人の二十五霊場は、 僧 霊沢(れいたく)が550回忌を機に発起し、翌年の宝暦12年(1762)に創設されました。巡拝を通じて、ご誕生からご入滅までのご足跡を知り、正しい念仏信仰を持つようにと願ってのことでありました。 また、明和3年(1766)に『円光大師御遺跡二十五箇所案内記』という霊場めぐりのガイドブックが刊行され、ゆかりのある二十五の霊場を選定するだけでなく、それぞれに法然上人ご自詠のご詠歌を1つずつあて、教化の一助とされています。 昭和49年(1974)浄土宗開宗800年を記念し再興され、その後この法然上人二十五霊場の巡拝は、現在まで盛んに続けられております。

また、600回忌を5年後に控えた文化3年(1806)には、毎年の御忌法要および50年に1度の遠忌法要を全国の寺院と檀家に浸透させるため、 『御忌勧誘記』が知恩院から刊行されています。「このたびの遠忌を報恩のことはじめとして、以後は毎年家ごとに御忌をつとめるように」 などと心構えが説かれている他、「新しい衣服を用いるか、洗い清めたものを着るように」「よく手を洗い口をすすいでから仏前に出なさい」と、 御忌をつとめるときの細かい作法までも記されています。もちろん、「知恩院をはじめ京都の本山の御忌や遠忌に参詣するように」との記述もあり、 そのためにはあらかじめ路銭を月掛けで蓄えておくようにと指示しています。

こうした霊場めぐりや本山参拝のガイドブックに促されて、遠忌に参詣した人は多かったことでしょう。 そして、次の時代に交通網が発達したとき、参詣の気運はいよいよ高まることになります。


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