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法然上人と知恩院

大遠忌の歴史

昭和時代(750回忌)

ヌーベル・バーグ時代の遠忌

750回忌がいとなまれたのは昭和36年のことです。およそ50年前の遠忌ですから、この文章をお読みいただいている方々の中にも、参詣された方はいらっしゃることでしょう。

明治時代の遠忌は、鉄道の開通によってかつてないほど多勢の参詣者を迎え入れました。それから50年を経た750回忌について新聞記事は、「大遠忌もヌーベル・バーグ時代とあって」と、 その様子を伝えています。

「ヌーベル・バーグ」とは今では馴染みのない言葉ですが、訳せば「新しい波」であり、 当時のフランスの映画界の新しい潮流を指していうものでした。もちろん、基本となる法要形式は伝統にのっとるわけですが、その環境は、 時代色をふんだんに取り入れた新しいものだったのです。

製作されたポスター
▲ 製作されたポスター


電気オルガンと合わせての音楽法要があったり、有線テレビが境内18ヶ所に設けられ、堂内に入りきれない参拝者に法要の様子を伝えたり、 飛行機をチャーターして花環とメッセージを投下したり―――今までにない試みが盛り込まれていました。花電車が走ったという記録もあります。 「空陸呼応の立体法要」という新聞の見出しは、今読むと大げさにも思えますが、当時としては新鮮な驚きがあったのでしょう。

京の市内を走る花電車
▲ 京の市内を走る花電車


参詣者の姿は、着物を着て襟には各参拝団名を記し、 数珠を手にして全国から登嶺するといった具合で、明治時代の遠忌が、尻絡げ(しりからげ)に信玄袋といった風俗だったのとは、大きく趣が変わりました。

しかし、多勢の参詣者が登嶺されたことに変わりはなく、3月1日から1週間の遠忌法要期間の参詣者総数は30万人とも50万人とも言われています。

御影堂前に集う参詣者
▲ 御影堂前に集う参詣者


しかしながら、750回忌のときに果たした歩みの中で最も意義深いことは、第2次世界大戦後分裂していた浄土宗が1つの教団に復したということでしょう。 合併後、最初の浄土門主に推戴された岸信宏知恩院門跡は、これについて次のように語られました。

「いよいよ元祖法然上人750年御遠忌大法要を目の前に迎うることとなりました。…中略…浄土宗が大きく2つに分れているということは何としても遺憾のことでありまして、 またもとの1つの浄土宗の教団に還って、このたびの御遠忌を迎えたいという要請が期せずして浄土両宗団の中に起り、合同の交渉が十余年の間、続けられたのであります。」

そして、大師号も下賜されました。「和順大師」です。知恩院の宿坊である「和順会館」はこの大師号に由来します。


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