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おてつぎ運動

特集記事

2018年7・8月

『お盆に思うこと』上田見宥

蜩(かなかな)や
    遠き国より
        母の声

            (幾治郎)

今年もお盆の季節になりました。この時期になると、奥田さんのこの句を思い出します。蜩(ひぐらし)の鳴く声にダブってお浄土から懐かしいお母さんの声が聞こえてくるというのです。我が子や親族、親しい人の安否を気遣っていらっしゃるのでしょうか。

またあの高浜虚子先生も

風が吹く
    佛来給う
        気配(けはい)あり

と詠んでいらっしゃいます。

そよと吹くかすかな風の音にも亡きご先祖の足音を聞き取るのです。

お盆にはご先祖さまがこの世に帰ってこられるといわれています。昔から「迎え火」を焚いてご先祖さまをお迎えするという信仰がありました。亡き父母やお爺さま・お婆さまが帰ってきてくださるのですから、精一杯のお給仕をさせていただこうと早くから準備をしたものです。

亡き母の
    残せしごとく
        盆用意

            (光代)

このご先祖さまが返ってこられるという信仰は、私は「還相回向(げんそうえこう)」のように思えてなりません。ちょっと難しいことを言いましたが、よく使う「回向」という言葉には「往相(おうそう)」と「還相(げんそう)」という二つの意味があるのです。お浄土へ往きたい・お浄土に生まれたいと願うのが「往相」なら、お浄土へ往ったきりではない。お浄土での修行が済んだら、必ず親しい親族や知人がいまだ迷いの暮らしをしている娑婆世界に帰って、それらの人々を救いたい、助けたいと願うのが「還相」の回向なのです。だから「迎え火」は焚いても焚かなくてもご先祖さまはお帰りくださいましょうが、「お懐かしゅうございます。よくお帰りくださいました」と明かりを点してお迎えしてください。

このお盆とは、詳しく申せば「盂蘭盆(うらぼん)」と言い、苦しみの最たる状態。お母さまが餓鬼道に堕ちているのを知った目連尊者が、お釈迦さまの指導でお救いになった因縁をもって盂蘭盆の初めとされますが、中国では梁(りょう)の大同四年(538)に初めて行われ、日本でも七世紀初頭からお勤めされていたようですから古い歴史をもったお勤めです。


 

先ほど、亡きお母さまの残して下さった盆用意をお手本として、私もさせていただきましょうという光代さんの俳句をご紹介しましたが、私のお寺の檀信徒にもそういうお方がいらっしゃいました。まことに丁寧なお給仕で頭が下がります。

まずはご霊膳を作らねばなりません。包丁も俎(まないた)も日常自分たちが使っているものとは別のものをご用意であります。お魚やお肉を切った包丁は使用されません。お鍋も別物です。ご霊膳のメニューも日別に、三時のオヤツも定められた通り。煮炊きの火も別の七輪をお使いでした。

ちょっと考えたら、そんな面倒なことは御免ですと言いたくなると思います。けれどもその方は、それを楽しみの中になさいました。佛さまやご先祖さまへのお給仕をイヤイヤするのではなく、心から喜び、心から楽しんでお盆の日々を送られたことと思います。

さりとて別に高価なものをお供えしてくださいとお勧めするのでありません。人さまが見てビックリするような立派なものをお供えしても、あゝ高くついた、と不平が出るようでは、まことのお供養(くよう)にはなりません。日常の普通のお品で充分結構です。それを南無阿弥陀仏とお念佛を称えながら、あゝ嬉しいな、あゝ楽しいなと、お給仕できる身を喜びながらお盆をお過ごしくださるようお願いいたします。昔はこういうご丁寧なお給仕をされるお方も大勢いらっしゃいました。現在は会社も盆休み、子どもも夏休み、この機会に海外旅行でもしようという方もあるようですが淋しく悲しいことです。せっかくご先祖さまがお還りでも、家が戸〆めではどうしようもありません。

地方から都会へ出て来ておられるお方は田舎へ帰られるのも良いでしょう。

田舎には優しい風が吹いています。その風に吹かれて父母を想い、ご先祖のお徳に抱かれ、子孫への責任を感じる機会でもあります。

父に慈恩(じおん)あり
    母に悲恩(ひおん)あり

            (『心地観経』)

どうぞ一年の詫びと感謝の盆供養であっていただきたいと冀(こいねが)う次第であります。

最後に昭和天皇の御製を味わいたいと思います。

夏たけて 堀の蓮(はちす)の 華見つつ
        佛の教え 思う朝かな


プロフィール
上田 見宥(うえだ けんゆう)
1929年生まれ
大阪教区寳樹寺住職
総本山知恩院布教師会顧問


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