法然上人のお言葉

後篇
第五章

無上功徳むじょうくどく

念仏は一遍でも無上の功徳となる。自分に功徳がなくても念仏による往生を疑ってはならない。

(念仏往生義)

御法語

善根ぜんごんなければ念仏ねんぶつしゅして無上むじょう功徳くどくんとす。善根ぜんごんおおくば、たとい念仏ねんぶつせずとも、たのかたもあるべし。

しかれば善導ぜんどうは、「をば善根ぜんごん薄少はくしょうなりとしんじて本願ほんがんたのみ、念仏ねんぶつせよ」とすすたまえり。きょうに、「ひとたび名号みょうごうとなうるに、大利だいりとす。またすなわち無上むじょう功徳くどく」とけり。いかにいわん念々相続ねんねんそうぞくせんをや。しかれば善根ぜんごんなければとて念仏ねんぶつ往生おうじょううたがうべからず。

現代語訳

善根ぜんごんなければ念仏ねんぶつしゅして無上むじょう功徳くどくんとす。善根ぜんごんおおくば、たとい念仏ねんぶつせずとも、たのかたもあるべし。

善い行いを積んでいないので、念仏を修めて、この上ない功徳を得ようとするのです。念仏以外の善い行いを多く積んでいるなら、たとえ念仏を称えなくても頼る手立てもあるでしょう。

しかれば善導ぜんどうは、「をば善根ぜんごん薄少はくしょうなりとしんじて本願ほんがんたのみ、念仏ねんぶつせよ」とすすたまえり。きょうに、「ひとたび名号みょうごうとなうるに、大利だいりとす。またすなわち無上むじょう功徳くどく」とけり。いかにいわん念々相続ねんねんそうぞくせんをや。しかれば善根ぜんごんなければとて念仏ねんぶつ往生おうじょううたがうべからず。

ですから善導大師は「自分は善い行いをごくわずかしか積んでいないと信じて、本願を頼みとし、念仏しなさい」とお勧めになりました。『無量寿経』に「一たび名号を称えると、大利益を得る。つまり、この上ない功徳を手に入れる」と説かれています。まして念仏を絶えず続けるならばなおさらです。ですから、善い行いを積んでいないからといって、念仏による往生を疑ってはなりません。

※我が身…念仏せよ=善導『往生礼讃』(『浄全』四・三五四頁下)。
※一たび…功徳を得=『無量寿経』巻上(『浄全』一・三五頁)。
※また=経文にこの語はない。
※念々=一瞬一瞬に。連続的に。