法然上人のお言葉― 元祖大師御法語 ―
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10月7日
今日のお言葉
前篇
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難値得遇
遇い難い仏教に遇いながら虚しく時を過ごしてはならない。
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立教開宗
仏教の覚りは三学によるが、それに堪えられないと思った私は、三学によらない道を善導大師の教えの中に見出した。
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聖浄二門
念仏の修行は、智慧を極めて覚る道ではなく、愚痴に立ち戻って極楽に生まれる道である。
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出世本懐
念仏往生の本願は、阿弥陀仏が一切衆生を平等に救おうとする慈悲に基づく。釈尊が出現されたのはこの教えを説くためである。
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選択本願
凡夫が念仏で往生できるという教えは、阿弥陀仏が法蔵菩薩であったときに立てられた本願に基づく。
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五劫思惟
法蔵菩薩は、一切衆生を平等に浄土へ迎えるため、「私の修行の功徳を南無阿弥陀仏の六字にこめて人々に称えさせよう」と決意された。
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諸仏証誠
六方の諸仏が教えの正しさを証言しておられるから、念仏して弥陀の本願、釈尊の付属、諸仏の守護を一身に受けよ。
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万機普益
浄土宗が他の宗に勝り、念仏が他の行より優れているのは、万民を救済する点にある。
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安心
念仏者の心がまえは、往生を願い、念仏すれば阿弥陀仏がお迎え下さると信じる以外にない。それが自然に三心となる。
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小消息
末法の世では、わが身の善悪を顧みず、教えを信じ、往生を求めて念仏を多く称え、罪を犯さないように努めよ。
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深心
深心とは、「いかなる自分であろうとも、念仏すれば阿弥陀仏の本願の力で往生できる」という確信である。
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正雑二行
速やかに苦しみの境涯を超えるには、浄土門に入って念仏に専念せよ。阿弥陀仏の本願によって必ず往生できる。
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二行得失
念仏すればすべての人が往生するのに他の修行では稀にしか往生できないのは、弥陀・釈迦の御心に随わないからである。
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専修念仏
念仏は生まれつきのままに修めればよいが、努めて悪を改めるがよい。
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信行双修
念仏は一遍でも往生できると信じつつ一生涯勤めよ。
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他力念仏
他力念仏・自力念仏の分かれ目は回数の多少によらず、本願他力に頼るか頼らないかによる。
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易行往生
念仏は多くの意味を伴うが、南無阿弥陀仏と称える中にすべてこもっている。努めて心を清くして念仏せよ。
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自身安穏
念仏者は、常日頃、念仏第一と考え、念仏し易い環境を整えよ。
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乗仏本願
阿弥陀仏の本願の力に乗じて往生できるか否かは、本願を最も重視するか否かによる。
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難修観法
往生を願う者は、阿弥陀仏や極楽のありさまを観想しようとせず、口に念仏を称えよ。
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精進
多くの人は仏教の行き渡る世にありながら、遊びに耽り仕事に追われ、悪業を重ねるだけで、修行せずに過ごしている。
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無常迅速
繁栄は長続きせず人生は短い。修行せずに死ねば後悔先に立たずである。
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一枚起請文
浄土宗の念仏は、称えれば極楽往生疑いなしと信じ、愚痴に還ってひたすら南無阿弥陀仏と称えることである。
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別時念仏
日常の念仏だけで充分ではあるが、つい疎かになりがちであるから、時には時間を設けて集中的に励むべきである。
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導師嘆徳
『観経疏』は浄土宗の教えの根幹であり、善導大師は阿弥陀仏の化身である。この書によって私法然は念仏に帰依した。
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光明摂取
阿弥陀仏の救いの光は、念仏者を選んで照らす。念仏に励むがよい。
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親縁
念仏者が弥陀を礼し称え念じれば、弥陀はこれを見聞き念じて、両者が親子のようになる。自分の耳に聞こえる程度以上の声で念仏せよ。
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来迎引接
念仏による往生は、動かしようのない絶対法則である。
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対治慢心
「私ほどの念仏者はあるまい」と慢心することは、阿弥陀仏の力で往生する身として相応しくない。
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一期勧化
私の遺跡を一箇所に限ってはならない。念仏の声する所みなわが遺跡である。
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勧進行者
他宗の人との対話も論争も慎め。念仏者には助力を惜しむな。
後篇
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難易二道
浄土門は、苦しみの境涯を捨てて極楽へ生まれる教えである。覚り難い聖道門を捨て、往き易い浄土門に入るべきである。
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他力往生
わが身の悪業は重くとも、阿弥陀仏の本願の、不可思議な救いの力を疑ってはならない。
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機教相応
浄土の教えだけが、末法の時代のわれわれに相応しい。
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特留此経
念仏の教えは、遠く末法一万年の後百年まで、広く五逆の罪人までをも救う。
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無上功徳
念仏は一遍でも無上の功徳となる。自分に功徳がなくても念仏による往生を疑ってはならない。
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念仏付属
釈尊は『観経』で様々な往生行を説かれたが、最後には弥陀の本願である念仏を弟子に託された。
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助正分別
往生行は正行・雑行に分かれ、五種正行は正定業である念仏と念仏以外の助業とに分かれる。
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安心起行
極楽往生のためには心と修行とを一致させよ。
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至誠心
至誠心とは真実心である。煩悩を抑えて念仏せよ。
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深心
深心とは、自分が悪業・煩悩の具わった凡夫であると信じ、その自分でも本願の念仏により救われると深く信じることである。
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廻向発願心
廻向発願心とは、善根すべてを極楽往生のために振り向け、往生を願い求める心である。
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二河白道
念仏者が信心の手で疑心・誹謗の災いを除こうとすれば、諸仏が助けて下さるだろう。
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無比法楽
阿弥陀仏は本願を成就しておられるから、念仏すればいかなる人も往生できる。
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四修
一生涯(長時)極楽の三宝を敬い(恭敬)絶え間なく(無間)他を交えずに(無余)念仏せよ。
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日課
念仏は日課を決めて数多く称えよ。
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念珠
数珠を繰って念仏せよ。少々の妄念は許されるが、悪口を言いつつ数珠だけ繰るなど許されない。
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百万遍
百万遍念仏は七日をめどに称えるべきであるが、称えなくても往生できないわけではない。
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深信因果
可能な範囲で戒を守り、念仏して往生を願え。
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孝養父母
親孝行するには、両親を阿弥陀仏にお任せして念仏せよ。
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行者存念
諸行無常、仏の本願、仏教に遇うことの困難さなどを折にふれて思うべきである。
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随順仏教
念仏で往生できれば充分だといって、教えに背くことを行い、念仏に励まないのは誤りである。
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退縁悪知識
信仰の異なる人が念仏往生を否定しても動揺してはならない。
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慈悲加祐
阿弥陀仏が臨終に来迎されるのは、念仏者の心が乱れないよう助力するためである。
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滅罪増上縁
五逆罪を犯した人も臨終に念仏を称えれば阿弥陀仏の本願の力によって往生する。
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護念増上縁
阿弥陀仏の救いの光は、念仏者を平生から臨終まで照らし続ける。
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仏神擁護
特別に祈らずとも、念仏すれば多くの仏・菩薩・神々は常に守護して下さる。
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転重軽受
念仏者は、阿弥陀仏のお力で、苦しみを軽く受け、不慮の災難を免れる。
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順逆二縁
念仏への非難すら往生の縁となる。人を分け隔てせぬ本願を頼みとし念仏を称えよ。
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一蓮托生
念仏者同士は別離を嘆く必要はない。いずれ極楽で再会できる。
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廻向
念仏を亡き人に廻向すれば、その人は阿弥陀仏の光に照らされ、苦しみを免れる。
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還来度生
極楽に往生して覚りを開き、念仏の教えを否定する人をも救おうと願え。