御法語
現世を過ぐべき様は、念仏の申されん方によりて過ぐべし。念仏の障りになりぬべからん事をば厭い捨つべし。
一所にて申されずば、修行して申すべし。修行して申されずば、一所に住して申すべし。聖りて申されずば、在家になりて申すべし。在家にて申されずば、遁世して申すべし。
一人籠り居て申されずば、同行と共行して申すべし。共行して申されずば、一人籠り居て申すべし。衣食叶わずして申されずば、他人に助けられて申すべし。他人の助けにて申されずば、自力にて申すべし。
妻子も従類も、自身助けられて、念仏申さんためなり。念仏の障りになるべくば、ゆめゆめ持つべからず。所知所領も、念仏の助業ならば大切なり。妨げにならば、持つべからず。
惣じてこれを言わば、自身安穏にして念仏往生を遂げんがためには、何事もみな念仏の助業なり。
三途に還るべきことをする身をだにも、捨て難ければ、顧み育むぞかし。まして往生すべき念仏申さん身をば、いかにも育みもてなすべし。
念仏の助業ならずして、今生のために身を貪求するは、三悪道の業となる。往生極楽のために自身を貪求するは、往生の助業となるなり。
現代語訳
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現世を過ぐべき様は、念仏の申されん方によりて過ぐべし。念仏の障りになりぬべからん事をば厭い捨つべし。
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この世の過ごし方は、念仏を称えやすいようにして過ごすべきです。念仏の妨げになることは厭い捨てるべきです。
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一所にて申されずば、修行して申すべし。修行して申されずば、一所に住して申すべし。聖りて申されずば、在家になりて申すべし。在家にて申されずば、遁世して申すべし。
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同じ場所に留まって称えることができなければ、行脚して称えなさい。行脚して称えることができなければ、同じ場所に留まって称えなさい。出家して称えることができなければ、在家者となって称えなさい。在家者として称えることができなければ、出家して称えなさい。
※修行=行脚。遊行。巡礼。「一所に住す」の逆。ここでは現代語の「修行」の意味ではない。
※聖りて=動詞「聖る」(俗世間を捨てる)の連用形に接続助詞「て」を付けた語形。 -
一人籠り居て申されずば、同行と共行して申すべし。共行して申されずば、一人籠り居て申すべし。衣食叶わずして申されずば、他人に助けられて申すべし。他人の助けにて申されずば、自力にて申すべし。
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一人こもって称えることができなければ、仲間と共に称えなさい。〔仲間と〕共に称えることができなければ、一人こもって称えなさい。生計が立たないために称えることができなければ、他人に支えられて称えなさい。他人に支えられて称えることができなければ、自活して称えなさい。
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妻子も従類も、自身助けられて、念仏申さんためなり。念仏の障りになるべくば、ゆめゆめ持つべからず。所知所領も、念仏の助業ならば大切なり。妨げにならば、持つべからず。
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妻子も一族や家来も、自分が支えられて念仏を称えるためです。念仏の障害になるならば、決して持つべきではありません。領地も、念仏の助けとなるならば大切です。妨げになるならば、持つべきではありません。
※助業=ここでは念仏を称えやすい条件・環境。通常は五種正行のうち称名正行以外の四つを指す。
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惣じてこれを言わば、自身安穏にして念仏往生を遂げんがためには、何事もみな念仏の助業なり。
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これをまとめて言うならば、自身が平穏無事で、念仏による往生を遂げるためには、何事もすべて念仏の助けであります。
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三途に還るべきことをする身をだにも、捨て難ければ、顧み育むぞかし。まして往生すべき念仏申さん身をば、いかにも育みもてなすべし。
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たとえ三悪道に舞い戻らねばならない悪業を犯す身であっても、捨て難いので、心にかけて、守り養うものです。ましてや、往生が叶う念仏を称える身なのですから、ぜひとも守り養い、大切にすべきであります。
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念仏の助業ならずして、今生のために身を貪求するは、三悪道の業となる。往生極楽のために自身を貪求するは、往生の助業となるなり。
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念仏の助けとすることなく、この世を楽しむために我が身を愛することは、三悪道へ堕ちる行為となります。極楽往生のために自身を愛することは、往生の助けとなるのです。