法然上人のお言葉― 元祖大師御法語 ―

前篇
第十八章

自身安穏じしんあんのん

念仏者は、常日頃、念仏第一と考え、念仏し易い環境を整えよ。

(勅伝第四十五巻)

御法語

現世げんぜぐべきようは、念仏ねんぶつもうされんかたによりてぐべし。念仏ねんぶつさわりになりぬべからんことをばいとつべし。

一所いっしょにてもうされずば、修行しゅぎょうしてもうすべし。修行しゅぎょうしてもうされずば、一所いっしょじゅうしてもうすべし。ひじりてもうされずば、在家ざいけになりてもうすべし。在家ざいけにてもうされずば、遁世とんせしてもうすべし。

一人ひとりこももうされずば、同行どうぎょうぐうぎょうしてもうすべし。共行ぐうぎょうしてもうされずば、一人ひとりこももうすべし。衣食えじきかなわずしてもうされずば、他人たにんたすけられてもうすべし。他人たにんたすけにてもうされずば、自力じりきにてもうすべし。

妻子さいし従類じゅうるいも、自身じしんたすけられて、念仏ねんぶつもうさんためなり。念仏ねんぶつさわりになるべくば、ゆめゆめつべからず。所知所領しょちしょりょうも、念仏ねんぶつ助業じょごうならば大切たいせつなり。さまたげにならば、つべからず。

そうじてこれをわば、自身安穏じしんあんのんにして念仏ねんぶつ往生おうじょうげんがためには、なにごともみな念仏ねんぶつ助業じょごうなり。

三途さんずかえるべきことをするをだにも、がたければ、かえりはぐくむぞかし。まして往生おうじょうすべき念仏ねんぶつもうさんをば、いかにもはぐくみもてなすべし。

念仏ねんぶつ助業じょごうならずして、今生こんじょうのために貪求とんぐするは、三悪道さんなくどうごうとなる。往生おうじょう極楽ごくらくのために自身じしん貪求とんぐするは、往生おうじょう助業じょごうとなるなり。

現代語訳

現世げんぜぐべきようは、念仏ねんぶつもうされんかたによりてぐべし。念仏ねんぶつさわりになりぬべからんことをばいとつべし。

この世の過ごし方は、念仏を称えやすいようにして過ごすべきです。念仏の妨げになることは厭い捨てるべきです。

一所いっしょにてもうされずば、修行しゅぎょうしてもうすべし。修行しゅぎょうしてもうされずば、一所いっしょじゅうしてもうすべし。ひじりてもうされずば、在家ざいけになりてもうすべし。在家ざいけにてもうされずば、遁世とんせしてもうすべし。

同じ場所に留まって称えることができなければ、行脚あんぎゃして称えなさい。行脚して称えることができなければ、同じ場所に留まって称えなさい。出家して称えることができなければ、在家者となって称えなさい。在家者として称えることができなければ、出家して称えなさい。

※修行=行脚。遊行。巡礼。「一所に住す」の逆。ここでは現代語の「修行」の意味ではない。
※聖りて=動詞「ひじる」(俗世間を捨てる)の連用形に接続助詞「て」を付けた語形。

一人ひとりこももうされずば、同行どうぎょうぐうぎょうしてもうすべし。共行ぐうぎょうしてもうされずば、一人ひとりこももうすべし。衣食えじきかなわずしてもうされずば、他人たにんたすけられてもうすべし。他人たにんたすけにてもうされずば、自力じりきにてもうすべし。

一人こもって称えることができなければ、仲間と共に称えなさい。〔仲間と〕共に称えることができなければ、一人こもって称えなさい。生計が立たないために称えることができなければ、他人に支えられて称えなさい。他人に支えられて称えることができなければ、自活して称えなさい。

妻子さいし従類じゅうるいも、自身じしんたすけられて、念仏ねんぶつもうさんためなり。念仏ねんぶつさわりになるべくば、ゆめゆめつべからず。所知所領しょちしょりょうも、念仏ねんぶつ助業じょごうならば大切たいせつなり。さまたげにならば、つべからず。

妻子も一族や家来も、自分が支えられて念仏を称えるためです。念仏の障害になるならば、決して持つべきではありません。領地も、念仏の助けとなるならば大切です。妨げになるならば、持つべきではありません。

※助業=ここでは念仏を称えやすい条件・環境。通常は五種正行のうち称名正行以外の四つを指す。

そうじてこれをわば、自身安穏じしんあんのんにして念仏ねんぶつ往生おうじょうげんがためには、なにごともみな念仏ねんぶつ助業じょごうなり。

これをまとめて言うならば、自身が平穏無事で、念仏による往生を遂げるためには、何事もすべて念仏の助けであります。

三途さんずかえるべきことをするをだにも、がたければ、かえりはぐくむぞかし。まして往生おうじょうすべき念仏ねんぶつもうさんをば、いかにもはぐくみもてなすべし。

たとえ三悪道に舞い戻らねばならない悪業を犯す身であっても、捨て難いので、心にかけて、守り養うものです。ましてや、往生が叶う念仏を称える身なのですから、ぜひとも守り養い、大切にすべきであります。

念仏ねんぶつ助業じょごうならずして、今生こんじょうのために貪求とんぐするは、悪道さんなくどうごうとなる。往生おうじょう極楽ごくらくのために自身じしん貪求とんぐするは、往生おうじょう助業じょごうとなるなり。

念仏の助けとすることなく、この世を楽しむために我が身を愛することは、三悪道へ堕ちる行為となります。極楽往生のために自身を愛することは、往生の助けとなるのです。