- 1133年(長承 2年)
- 四月七日、浄土宗の開祖・法然上人、美作国(岡山県)久米南条稲岡庄に生まれる。
幼名は勢至丸。
- 1147年(久安 3年)
- 比叡山に登り源光に師事する(15歳、一説には天養2年、13歳)
- 1150年(久安 6年)
- 西塔黒谷の叡空の室に入る。法然房源空の名を受ける(18歳)
- 1175年(承安 5年)
- 東山吉水の地に草庵を結び、専修念仏を初めて布教(43歳)
- 1207年(建永 2年)
- 旧仏教の弾圧で讃岐に流される(75歳)
- 1211年(建暦 1年)
- 法然上人帰洛。大谷山上の禅房(現在、勢至堂の場所)に入る(79歳)
- 1212年(建暦 2年)
- 正月二十五日、法然上人入滅。門弟たちが終焉の地である大谷に廟堂を築く(80歳)
- 1227年(嘉禄 3年)
- 比叡山の衆徒が大谷廟堂を破却
- 1234年(文暦 1年)
- 法然上人の弟子源智が上人を開山として諸堂を興す
- 1517年(永正14年)
- 8月に火災。影像、勅伝など災いを免れる
- 1524年(大永 4年)
- 御忌鳳詔の詔勅が下り御忌大会が始まる
- 1530年(享禄 3年)
- 勢至堂の再興。後奈良天皇宸翰「知恩教院」「大谷寺」の勅額を賜う
- 1585年(天正13年)
- 豊臣秀吉、寺領百九十石の朱印状を付す
- 1603年(慶長 8年)
- 徳川家康が知恩院を永代菩提所と定め、寺領七百三石余を寄す
- 1604年(慶長 9年)
- 家康、青蓮院の地を割き、寺地堂舎を造堂
- 1607年(慶長12年)
- 後陽成天皇八宮を門跡に定める
- 1619年(元和 5年)
- 幕府が三門、経蔵を造営、2年後に竣工
- 1633年(寛永10年)
- 火災。三門、経蔵のみ災いを免れる
- 1639年(寛永16年)
- 諸堂の再建なる
- 1697年(元禄10年)
- 東山天皇、法然上人に円光大師の諡号を賜う
- 1710年(宝永 7年)
- 霊元上皇宸翰「華頂山」の勅額を賜う
- 1711年(宝永 8年)
- 法然上人五百年遠忌。中御門天皇、東漸大師の号を賜う
- 1761年(宝暦11年)
- 法然上人五百五十年遠忌。桃園天皇、慧成大師の号を賜う
- 1811年(文化 8年)
- 法然上人六百年遠忌。光格天皇、弘覚大師の号を賜う
- 1831年(天保 2年)
- 善導大師千百五十年遠忌
- 1835年(天保 6年)
- 大方丈・黒門・集会堂などの修復なる
- 1861年(万延 2年)
- 法然上人六百五十年遠忌。孝明天皇、慈教大師の号を賜う
- 1872年(明治 5年)
- 博覧会場となり、明治天皇がご臨幸される
- 1875年(明治 8年)
- 山内入信院に総本山勧学本場を設ける
- 1877年(明治10年)
- 1月の御忌法要を4月に行い、以後例となる
- 1880年(明治13年)
- 善導大師千二百年遠忌を修す
- 1910年(明治43年)
- 阿弥陀堂再建落成慶讃会が行われる
- 1911年(明治44年)
- 法然上人七百年大遠忌。明治天皇、明照大師の号を賜う。華頂女学院創立
- 1924年(大正13年)
- 浄土開宗七百五十年記念大法要
- 1928年(昭和 3年)
- 華頂会館ならびに信徒宿泊所が落成
- 1930年(昭和 5年)
- 高祖善導大師千二百五十年遠忌大法要。納骨堂が落成
- 1932年(昭和 7年)
- 宗祖降誕八百年慶讃法要を修し、勢至丸銅像を造立
- 1959年(昭和34年)
- 七百五十万霊塔落成
- 1961年(昭和36年)
- 法然上人七百五十年遠忌。昭和天皇、和順大師の号を賜う
- 1967年(昭和42年)
- 第一回おてつぎ文化講座を開講
- 1968年(昭和43年)
- 宝物館竣工。友禅苑に茶室「華麓庵」完成
- 1970年(昭和45年)
- 知恩院史料編纂所開設。和順会館起工
- 1972年(昭和47年)
- 和順会館落成
- 1974年(昭和49年)
- 権現堂落成。浄土開宗八百年慶讃法要を奉修
- 1980年(昭和55年)
- 高祖善導大師千三百年大遠忌奉修
- 1982年(昭和57年)
- 宗祖御降誕八百五十年慶讃法要奉修
- 1987年(昭和62年)
- 三上人大遠忌法要奉修
- 1992年(平成 4年)
- 昭和平成修復三門落慶法要。宝佛殿が落成
- 2000年(平成12年)
- 経蔵修復。落慶法要
- 2002年(平成14年)
- 三門、御影堂が国宝の指定を受ける
- 2011年(平成23年)
- 法然上人八百年大遠忌。集会堂修復。和順会館改築、知恩院 和順会館落成。
天皇陛下、法爾大師の号を賜う