御法語
浄土一宗の諸宗に超え、念仏一行の諸行に勝れたりという事は、万機を摂する方をいうなり。
理観・菩提心・読誦大乗・真言・止観等、いずれも仏法のおろかにましますにはあらず。みな生死滅度の法なれども、末代になりぬれば、力及ばず。行者の不法なるによりて、機が及ばぬなり。
時をいえば、末法万年の後、人寿十歳につづまり、罪をいえば、十悪五逆の罪人なり。老少男女の輩、一念十念の類に至るまで、みなこれ摂取不捨の誓いに籠れるなり。
この故に諸宗に超え、諸行に勝れたりとは申すなり。
現代語訳
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浄土一宗の諸宗に超え、念仏一行の諸行に勝れたりという事は、万機を摂する方をいうなり。
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浄土一宗が他の諸宗に勝り、念仏一行が他の様々な修行より優れているということは、あらゆる衆生を救う点を言うのであります。
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理観・菩提心・読誦大乗・真言・止観等、いずれも仏法のおろかにましますにはあらず。みな生死滅度の法なれども、末代になりぬれば、力及ばず。行者の不法なるによりて、機が及ばぬなり。
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真理を対象とする観法、覚りを求める心、大乗経典の読誦、真言、止観など、どの修行も仏の教えとして不十分であるというわけではありません。みな迷いの境涯を離れて覚りを得るための教えではありますが、末法になったので、力が及ばず、修行者が教えに背いてしまうことで、能力が追い付かないのです。
※真言=ここでは密教の修行の意。本来は、仏の徳や教えのこもった短い梵語の句。
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時をいえば、末法万年の後、人寿十歳につづまり、罪をいえば、十悪五逆の罪人なり。老少男女の輩、一念十念の類に至るまで、みなこれ摂取不捨の誓いに籠れるなり。
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時代についていえば、末法の一万年が過ぎた後、人間の寿命が十歳に縮まり、罪についていえば、十悪や五逆を犯す罪人であります。〔しかしそんな〕老若男女の人々で、一念や十念しか称えない人たちに至るまで、みな「救い取って捨てない」という誓いの対象に含まれるのです。
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この故に諸宗に超え、諸行に勝れたりとは申すなり。
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こういうわけで、〔浄土宗は〕他の諸宗に勝り、〔念仏は〕他の様々な修行より優れていると言うのであります。