法然上人のお言葉― 元祖大師御法語 ―

前篇
第八章

万機普益ばんきふやく

浄土宗が他の宗に勝り、念仏が他の行より優れているのは、万民を救済する点にある。

(勅伝第四十五巻)

御法語

浄土一宗じょうどいっしゅう諸宗しょしゅうえ、念仏一行ねんぶついちぎょう諸行しょぎょうすぐれたりということは、万機ばんきせっするかたをいうなり。

理観りかん菩提心ぼだいしん読誦どくじゅ大乗だいじょう真言しんごん止観しかんとう、いずれも仏法ぶっぽうのおろかにましますにはあらず。みな生死しょうじ滅度めつどほうなれども、末代まつだいになりぬれば、ちからおよばず。行者ぎょうじゃ不法ふほうなるによりて、およばぬなり。

ときをいえば、末法まっぽう万年まんねんのち人寿十歳にんじゅじっさいにつづまり、つみをいえば、十悪じゅうあく五逆ごぎゃく罪人ざいにんなり。老少男女ろうしょうなんにょともがら一念十念いちねんじゅうねんたぐいいたるまで、みなこれ摂取不捨の誓いせっしゅふしゃのちかいこもれるなり。

このゆえ諸宗しょしゅうえ、諸行しょぎょうすぐれたりとはもうすなり。

現代語訳

浄土一宗じょうどいっしゅう諸宗しょしゅうえ、念仏一行ねんぶついちぎょう諸行しょぎょうすぐれたりということは、万機ばんきせっするかたをいうなり。

浄土一宗が他の諸宗に勝り、念仏一行が他の様々な修行より優れているということは、あらゆる衆生を救う点を言うのであります。

理観りかん菩提心ぼだいしん読誦どくじゅ大乗だいじょう真言しんごん止観しかんとう、いずれも仏法ぶっぽうのおろかにましますにはあらず。みな生死しょうじ滅度めつどほうなれども、末代まつだいになりぬれば、ちからおよばず。行者ぎょうじゃ不法ふほうなるによりて、およばぬなり。

真理を対象とする観法、覚りを求める心、大乗経典の読誦、真言、止観など、どの修行も仏の教えとして不十分であるというわけではありません。みな迷いの境涯を離れて覚りを得るための教えではありますが、末法になったので、力が及ばず、修行者が教えに背いてしまうことで、能力が追い付かないのです。

※真言=ここでは密教の修行の意。本来は、仏の徳や教えのこもった短い梵語の句。

ときをいえば、末法まっぽう万年まんねんのち人寿十歳にんじゅじっさいにつづまり、つみをいえば、十悪じゅうあく五逆ごぎゃく罪人ざいにんなり。老少男女ろうしょうなんにょともがら一念十念いちねんじゅうねんたぐいいたるまで、みなこれ摂取不捨の誓いせっしゅふしゃのちかいこもれるなり。

時代についていえば、末法の一万年が過ぎた後、人間の寿命が十歳に縮まり、罪についていえば、十悪や五逆を犯す罪人であります。〔しかしそんな〕老若男女の人々で、一念や十念しか称えない人たちにいたるまで、みな「救い取って捨てない」という誓いの対象に含まれるのです。

このゆえ諸宗しょしゅうえ、諸行しょぎょうすぐれたりとはもうすなり。

こういうわけで、〔浄土宗は〕他の諸宗に勝り、〔念仏は〕他の様々な修行より優れていると言うのであります。