御法語
時々別時の念仏を修して、心をも身をも励まし、調え、すすむべきなり。
日々に六万遍七万遍を称えば、さても足りぬべき事にてあれども、人の心様は、いたく目慣れ、耳慣れぬれば、いらいらと、すすむ心少なく、明け暮れは悤々として、心閑かならぬ様にてのみ疎略になりゆくなり。
その心をすすめんためには、時々別時の念仏を修すべきなり。然れば善導和尚も懇ろに励まし、恵心の先徳も詳しく教えられたり。
道場をもひき繕い、花香をも供えたてまつらん事、ただ力の堪えたらんに随うべし。また我が身をも殊に清めて道場に入りて、或は三時、或は六時なんどに念仏すべし。もし同行など数多あらん時は、代わる代わる入りて、不断念仏にも修すべし。斯様のことは、各々、様に随いて計らうべし。
現代語訳
-
時々別時の念仏を修して、心をも身をも励まし、調え、すすむべきなり。
-
時おり別時念仏を修めて、心身ともに奮い起こし、調え、誘うべきです。
-
日々に六万遍七万遍を称えば、さても足りぬべき事にてあれども、人の心様は、いたく目慣れ、耳慣れぬれば、いらいらと、すすむ心少なく、明け暮れは悤々として、心閑かならぬ様にてのみ疎略になりゆくなり。
-
毎日六万遍七万遍を称えるならば、それで充分でありましょうが、人の心のあり方は、たいそう見慣れ、聞き慣れてしまうと、せわしく、誘う心が少なく、毎日が忙しく、ただただ心が落ち着かないありさまとなって、念仏がおろそかになっていくものです。
-
その心をすすめんためには、時々別時の念仏を修すべきなり。然れば善導和尚も懇ろに励まし、恵心の先徳も詳しく教えられたり。
-
そうした心を誘うためには、時おり別時念仏を修めるべきです。それゆえ善導和尚も心を込めて奨励され、徳ある先人、恵心僧都も詳しく教授されました。
※然れば…励まし=善導『観念法門』(『浄全』四・二二六頁上〜下)。
※恵心…教えられたり=源信『往生要集』大文第六「別時念仏」(『浄全』十五・一〇八頁上)。 -
道場をもひき繕い、花香をも供えたてまつらん事、ただ力の堪えたらんに随うべし。また我が身をも殊に清めて道場に入りて、或は三時、或は六時なんどに念仏すべし。もし同行など数多あらん時は、代わる代わる入りて、不断念仏にも修すべし。斯様のことは、各々、様に随いて計らうべし。
-
道場を立派に整え、花や香をお供えすることは、ただ力の及ぶ範囲で結構です。また、自分の身体も、特に清潔にして道場に入り、ある場合には六時間、ある場合には十二時間というように念仏すべきです。もしも同行者などが多くある時には、交替で〔道場に〕入り、不断念仏としても修めるのがよいでしょう。こうしたことは、それぞれの事情に応じて取り計らうことです。
※三時…六時=「半日あるいは一昼夜」という解釈もある。
※なんど=など。