御法語
百万遍の事。
仏の願にては候わねども、小阿弥陀経に、「若は一日、若は二日、乃至、七日、念仏申す人、極楽に生ずる」と説かれて候えば、七日念仏申すべきにて候。
その七日のほどの数は、百万遍に当り候うよし、人師釈して候えば、百万遍は、七日申すべきにて候えども、堪え候わざらん人は、八日九日などにも申され候えかし。
さればとて、百万遍申さざらん人の、生まるまじきにては候わず。一念十念にても生まれ候うなり。一念十念にても生まれ候うほどの念仏と思い候ううれしさに、百万遍の功徳を重ぬるにて候うなり。
現代語訳
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百万遍の事。
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百万遍について。
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仏の願にては候わねども、小阿弥陀経に、「若は一日、若は二日、乃至、七日、念仏申す人、極楽に生ずる」と説かれて候えば、七日念仏申すべきにて候。
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阿弥陀仏の本願にはありませんが、『阿弥陀経』に、「もしくは一日、もしくは二日、あるいは七日まで、念仏を称える人は極楽に生まれる」と説かれていますので、七日間念仏を称えるべきです。
※仏の願=四十八願。『無量寿経』巻上(『浄全』一・六~一一頁)。
※若しは…生ずる=『阿弥陀経』(『浄全』一・五四頁)。 -
その七日のほどの数は、百万遍に当り候うよし、人師釈して候えば、百万遍は、七日申すべきにて候えども、堪え候わざらん人は、八日九日などにも申され候えかし。
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その七日ほどの〔念仏の〕数が百万遍に相当すると、ある高僧は解釈しておられます。ですから、百万遍は七日で称えるべきですが、それが出来ない人は、八日や九日などでもお称えになって下さい。
※人師=権威ある仏教者。ここでは道綽(五六二ー六四五)。道綽が『阿弥陀経』にもとづいて百万遍念仏を主唱したことは、迦才の『浄土論』下(『浄全』六・六六八頁下)にみえる。