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問うて云く、摂取の益をこうぶる事は、平生か臨終か、いかん。
答えて云く、平生の時なり。その故は、往生の心まことにて、我が身を疑う事なくて、来迎を待つ人は、これ三心具足の念仏申す人なり。この三心具足しぬれば、必ず極楽に生まるという事は、観経の説なり。
かかる志ある人を、阿弥陀仏は、八万四千の光明を放ちて照らし給うなり。平生の時、照らし始めて最後まで捨て給わぬなり。故に不捨の誓約と申すなり。
現代語訳
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問うて云く、摂取の益をこうぶる事は、平生か臨終か、いかん。
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問い。阿弥陀仏の救いの利益を蒙るのは、平生か臨終か、どちらでしょうか。
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答えて云く、平生の時なり。その故は、往生の心まことにて、我が身を疑う事なくて、来迎を待つ人は、これ三心具足の念仏申す人なり。この三心具足しぬれば、必ず極楽に生まるという事は、観経の説なり。
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答え。平生の時です。つまり、往生を願う心に偽りがなく、わが身〔の往生〕を疑わずに来迎を待つ人は、三心を具えた念仏を称える人です。この三心を具えているならば必ず極楽に生まれるということは『観無量寿経』の説です。
※観経の説=『観経』上品上生(『浄全』一・四六頁)。
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かかる志ある人を、阿弥陀仏は、八万四千の光明を放ちて照らし給うなり。平生の時、照らし始めて最後まで捨て給わぬなり。故に不捨の誓約と申すなり。
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このような志のある人を、阿弥陀仏は、八万四千の光明を放って照らされるのです。平生の時に照らし始めて、臨終までお捨てになりません。ですから「〔念仏者を救い取って〕捨てることがない誓約」というのです。
※八万四千の光明=『観経』第九「真身観文」(『浄全』一・四四頁)。
※不捨の誓約=第十八「念仏往生の願」と『観経』の摂取不捨の文(摂益文)を結びつけた用語。前篇第八、第二十六章参照。