法然上人のお言葉― 元祖大師御法語 ―

後篇
第六章

念仏付属ねんぶつふぞく

釈尊は『観経』で様々な往生行を説かれたが、最後には弥陀の本願である念仏を弟子に託された。

(勅伝第二十五巻)

御法語

釈迦如来しゃかにょらい、このきょううちに、定散じょうさんのもろもろのぎょうわりてのちに、まさしく阿難あなん付属ふぞくたまときには、かみくところの散善さんぜん三福業さんぷくごう定善じょうぜん十三観じゅうさんがんをば付属ふぞくせずして、ただ念仏ねんぶつ一行いちぎょう付属ふぞくたまえり。

きょういわく、「ほとけ阿難あなんたまわく、汝好なんじよたもて。たもてとは、すなわ無量寿仏むりょうじゅぶつみなたもてとなり」。

善導和尚ぜんどうかしょう、このもんしゃくしてのたまわく、「ほとけ阿難あなんたまわく、汝好なんじよたもてより已下いげは、まさしく弥陀みだ名号みょうごう付属ふぞくして、遐代かだい流通るずうたまうことをあかす。上来じょうらい定散両門じょうさんりょうもんやくくといえども、ほとけ本願ほんがんのぞむれば、こころ衆生しゅじょうをして一向いっこうもっぱ弥陀仏みだぶつしょうせしむるにり」。

この定散じょうさんのもろもろのぎょうは、弥陀みだ本願ほんがんにあらざるがゆえに、釈迦しゃか如来にょらいの、往生おうじょうぎょう付属ふぞくたまうに、定善じょうぜん散善さんぜんをば付属ふぞくせずして、念仏ねんぶつはこれ弥陀みだ本願ほんがんなるがゆえに、まさしくえらびて本願ほんがんぎょう付属ふぞくたまえるなり。

いま釈迦しゃかおしえにしたがいて往生おうじょうもとむるもの付属ふぞく念仏ねんぶつしゅして釈迦しゃか御心みこころかなうべし。これにつけてもまたよくよく御念仏候おねんぶつそうろうて、ほとけ付属ふぞくかなわせたまうべし。

現代語訳

釈迦如来しゃかにょらい、このきょううちに、定散じょうさんのもろもろのぎょうわりてのちに、まさしく阿難あなん付属ふぞくたまときには、かみくところの散善さんぜん三福業さんぷくごう定善じょうぜん十三観じゅうさんがんをば付属ふぞくせずして、ただ念仏ねんぶつ一行いちぎょう付属ふぞくたまえり。

釈尊は、『観無量寿経』の中で〔極楽往生のための修行として、精神を統一して行う〕定善と〔通常の心のままで行う〕散善との、様々な行を説き終わった後、まさしく弟子阿難に教えを託される段になると、それまでに述べられた、散善の功徳ある三種の行いや、定善の十三種の観想を託されずに、ただ念仏の一行のみを託されました。

きょういわく、「ほとけ阿難あなんたまわく、汝好なんじよたもて。たもてとは、すなわ無量寿仏むりょうじゅぶつみなたもてとなり」。

『観無量寿経』には「釈尊は阿難に告げられた。〈汝はこの語をよく保て。この語を保てとは、無量寿仏の名号を保てということである〉」とあります。

※仏…持てとなり=『観無量寿経』(『浄全』一・五一頁)。

善導和尚ぜんどうかしょう、このもんしゃくしてのたまわく、「ほとけ阿難あなんたまわく、汝好なんじよたもてより已下いげは、まさしく弥陀みだ名号みょうごう付属ふぞくして、遐代かだい流通るずうたまうことをあかす。上来じょうらい定散両門じょうさんりょうもんやくくといえども、ほとけ本願ほんがんのぞむれば、こころ衆生しゅじょうをして一向いっこうもっぱ弥陀仏みだぶつしょうせしむるにり」。

善導和尚はこの経文を解釈して「〈釈尊は阿難に告げられた。汝はこの語をよく保て〉以下の語は、まさしく〔釈尊が〕阿弥陀仏の名号を〔阿難に〕託し、それを遥か後の世にまで広く伝えようとされていることを表わしている。この、名号を託する段に至るまで、定善・散善の二種の修行の利益を説いてこられたが、阿弥陀仏の本願に照らせば、釈尊の意図は、人々にひたすら阿弥陀仏の名号を称えさせることにある」と述べておられます。

※仏…称せしむるに在り=『観経疏』「散善義」(『浄全』二・七一頁下)。
※上来=前からここに至るまで。

この定散じょうさんのもろもろのぎょうは、弥陀みだ本願ほんがんにあらざるがゆえに、釈迦しゃか如来にょらいの、往生おうじょうぎょう付属ふぞくたまうに、定善じょうぜん散善さんぜんをば付属ふぞくせずして、念仏ねんぶつはこれ弥陀みだ本願ほんがんなるがゆえに、まさしくえらびて本願ほんがんぎょう付属ふぞくたまえるなり。

この定善・散善の様々な行は、阿弥陀仏の本願ではないから、釈尊が往生の行を託される際には、念仏以外の定善・散善を託されず、念仏は阿弥陀仏の本願であるから、まさしく選んで、本願の行である念仏を託されたのです。

いま釈迦しゃかおしえにしたがいて往生おうじょうもとむるもの付属ふぞく念仏ねんぶつしゅして釈迦しゃか御心みこころかなうべし。これにつけてもまたよくよく御念仏候おねんぶつそうろうて、ほとけ付属ふぞくかなわせたまうべし。

今、釈尊の教えに従って往生を求める人は、釈尊が阿難に託された念仏を修めて、釈尊のご遺志に従うのがよいでしょう。このことからしてもまた、よくよくお念仏をなさり、釈尊が〔念仏を〕託された御心に添うようになさって下さい。