御法語
念仏の数を多く申す者をば、自力を励むと云う事、これまたものも覚えず浅ましき僻事なり。ただ一念二念を称うとも、自力の心ならん人は、自力の念仏とすべし。
千遍万遍を称え、百日千日、夜昼励み勤むとも、偏に願力を頼み、他力を仰ぎたらん人の念仏は、声々念々、しかしながら他力の念仏にてあるべし
されば三心を発したる人の念仏は、日々夜々、時々剋々に称うれども、しかしながら願力を仰ぎ、他力を頼みたる心にて称え居たれば、かけてもふれても自力の念仏とは云うべからず。
現代語訳
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念仏の数を多く申す者をば、自力を励むと云う事、これまたものも覚えず浅ましき僻事なり。ただ一念二念を称うとも、自力の心ならん人は、自力の念仏とすべし。
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「念仏の数を多く称えるのは自力を励む人だ」と言うこと、これまた道理を外れ、あきれる程の心得違いです。わずか一念二念を称えても、自力の心構えである人〔の念仏〕は、自力の念仏とすべきであります。
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千遍万遍を称え、百日千日、夜昼励み勤むとも、偏に願力を頼み、他力を仰ぎたらん人の念仏は、声々念々、しかしながら他力の念仏にてあるべし
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千遍万遍を称え、百日千日、昼夜に励み努めても、ひたすら〔阿弥陀仏の〕願力を頼みとし、他力を尊ぶ人の念仏は、一声一声が、そのまま全部他力の念仏であるとすべきです。
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されば三心を発したる人の念仏は、日々夜々、時々剋々に称うれども、しかしながら願力を仰ぎ、他力を頼みたる心にて称え居たれば、かけてもふれても自力の念仏とは云うべからず。
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それゆえ三心を起こした人の念仏は、毎日毎夜、絶え間なく称えたとしても、それらはすべて願力を尊び、他力を頼みとする心で称えているのですから、決して自力の念仏と言うべきではありません。
※かけてもふれても=少しも。全く。