御法語
問う。信心の様は承りぬ。行の次第、いかが候うべき。
答う。四修をこそ本とする事にて候え。一つには長時修、乃至、四つには無余修なり。
一つには長時修というは、善導は「命の終るを期として誓って中止せざれ」と云う。
二つに恭敬修というは、極楽の仏・法・僧宝に於て、常に憶念して尊重をなすなり。
三つに無間修というは、要決に云く、「常に念仏して往生の心を作せ。一切の時に於て、心に恒に想い巧むべし」。
四つに無余修というは、要決に云く、「専ら極楽を求めて弥陀を礼念するなり。ただ諸余の行業を雑起せざれ。所作の業は日別に念仏すべし」。
現代語訳
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問う。信心の様は承りぬ。行の次第、いかが候うべき。
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問い。信心のありようはお伺いいたしました。行のはこびはどのようであるべきでしょうか。
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答う。四修をこそ本とする事にて候え。一つには長時修、乃至、四つには無余修なり。
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答え。四修を基本とするのです。第一の長時修から、第四の無余修までです。
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一つには長時修というは、善導は「命の終るを期として誓って中止せざれ」と云う。
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第一に長時修というのは、善導大師は「命が終わる時までを期限とし、誓って中止しないように」とおっしゃいました。
※命の…中止せざれ=『往生礼讃』(『浄全』四・三五五頁下)。
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二つに恭敬修というは、極楽の仏・法・僧宝に於て、常に憶念して尊重をなすなり。
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第二に恭敬修というのは、極楽の仏・法・僧の三宝を常に心にかけ、尊び重んじるのです。
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三つに無間修というは、要決に云く、「常に念仏して往生の心を作せ。一切の時に於て、心に恒に想い巧むべし」。
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第三に無間修というのは、『西方要決』によれば、「常に念仏して、往生したいという思いを抱け。どんなときでも〔それを〕心にいつも思い定めよ」とあります。
※常に…巧むべし=窺基『西方要決』(『浄全』六・六〇五頁上)。
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四つに無余修というは、要決に云く、「専ら極楽を求めて弥陀を礼念するなり。ただ諸余の行業を雑起せざれ。所作の業は日別に念仏すべし」。
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第四に無余修というのは、『西方要決』によれば、「ただひたすら極楽を求めて阿弥陀仏を礼拝し、心にかけるのである。他の様々な修行を交えてはならない。なすべき勤めとしては、日々に念仏することである」とあります。
※専ら…念仏すべし=『西方要決』(『浄全』六・六〇五頁下)。