御法語
さように、空言を巧みて申し候うらん人をば、かえりて憐れむべきなり。さほどの者の申さんによりて念仏に疑いをなし、不信を起こさんものは、言うに足らぬほどの事にてこそは候わめ。
大方、弥陀に縁浅く、往生に時至らぬ者は、聞けども信ぜず、行うを見ては腹を立て、怒を含みて妨げんとする事にて候うなり。その心を得て、いかに人申すとも、御心ばかりは動がせ給うべからず。強ちに信ぜざらんは、仏、なお力及び給うまじ。いかに況や凡夫の力、及び候うまじき事なり。
かかる不信の衆生を利益せんと思わんにつけても、疾く極楽へ参りて、覚りを開きて、生死に還りて、誹謗不信の者をも渡して、一切衆生、あまねく利益せんと思うべき事にて候うなり。
現代語訳
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さように、空言を巧みて申し候うらん人をば、かえりて憐れむべきなり。さほどの者の申さんによりて念仏に疑いをなし、不信を起こさんものは、言うに足らぬほどの事にてこそは候わめ。
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そのように嘘をたくらんで言うような人のことを、かえって気の毒に思うべきです。そんな程度の者が言うことで、念仏に疑いを抱き、不信の念を持つなどは、口に出す必要もないほどの〔愚かしい〕ことでありましょう。
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大方、弥陀に縁浅く、往生に時至らぬ者は、聞けども信ぜず、行うを見ては腹を立て、怒を含みて妨げんとする事にて候うなり。その心を得て、いかに人申すとも、御心ばかりは動がせ給うべからず。強ちに信ぜざらんは、仏、なお力及び給うまじ。いかに況や凡夫の力、及び候うまじき事なり。
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およそ、阿弥陀仏に縁が浅く、往生の機が熟していない者は、〔教えを〕聞いても信じず、〔念仏を〕修める人を見ては腹を立て、怒りを心に抱いて、妨害しようとすることになるのです。この道理をわきまえて、どのように人が申しても、お心だけは動かされてはなりません。かたくなに信じようとしない人は、御仏でさえどうしようもないでしょう。ましてわれわれ凡夫の力ではどうにもならないことです。
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かかる不信の衆生を利益せんと思わんにつけても、疾く極楽へ参りて、覚りを開きて、生死に還りて、誹謗不信の者をも渡して、一切衆生、あまねく利益せんと思うべき事にて候うなり。
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このような信心のない人々にも利益を与えようと思うにつけても、早く極楽に往生して覚りを開き、この迷いの境涯に舞い戻って、念仏の教えを謗る者や、信じない者までをも〔覚りの向こう岸へ〕渡し、すべての衆生にもれなく利益を与えようと思うべきなのです。
※生死に還りて=衆生を救うためにあえて苦しみの境涯に戻ること(還相廻向)をいう。