法然上人のお言葉― 元祖大師御法語 ―

前篇
第二十章

難修観法なんじゅかんぼう

往生を願う者は、阿弥陀仏や極楽のありさまを観想しようとせず、口に念仏を称えよ。

(勅伝第二十一巻)

御法語

近来ちかごろ行人ぎょうにん観法かんぼうをなすことなかれ。仏像ぶつぞうかんずとも、運慶うんけい康慶こうけいつくりたるほとけほどだにもかんあらわすべからず。極楽ごくらく荘厳しょうごんかんずとも、桜梅桃李ようばいとうり花菓けかほども、かんあらわさんこと、かたかるべし。

ほとけ今現いまげんましまして成仏じょうぶつたまえり。まさるべし、本誓ほんぜい重願じゅうがんむなしからざることを。衆生しゅじょう称念しょうねんすれば、かなら往生おうじょう」のしゃくしんじて、ふか本願ほんがんたのみて、一向いっこう名号みょうごうとなうべし。名号みょうごうとなうれば、三心さんじんおのずから具足ぐそくするなり。

現代語訳

近来ちかごろ行人ぎょうにん観法かんぼうをなすことなかれ。仏像ぶつぞうかんずとも、運慶うんけい康慶こうけいつくりたるほとけほどだにもかんあらわすべからず。極楽ごくらく荘厳しょうごんかんずとも、桜梅桃李ようばいとうり花菓けかほども、かんあらわさんこと、かたかるべし。

今の時代の仏道修行者は、観想の行法を行ってはなりません。仏の姿を観想しても、運慶や康慶が造った仏像ほども、ありありと想いえがくことはできません。極楽の荘厳を想い画いても、〔この世の〕桜、梅、桃、すももの花や果実ほども、ありありと想い画くことは困難でしょう。

※近来=人々の能力が劣っている末法の世において。前篇第八章末代」、後篇第三章参照。
※仏ほどだにも…べからず=運慶や康慶が造った仏像は現世では優れているが、極楽世界の仏よりは格段に劣っていることを前提とした表現。

ほとけ今現いまげんましまして成仏じょうぶつたまえり。まさるべし、本誓ほんぜい重願じゅうがんむなしからざることを。衆生しゅじょう称念しょうねんすれば、かなら往生おうじょう」のしゃくしんじて、ふか本願ほんがんたのみて、一向いっこう名号みょうごうとなうべし。名号みょうごうとなうれば、三心さんじんおのずから具足ぐそくするなり。

「かの〔阿弥陀〕仏はいま現在、〔極楽〕世界にあって、仏となっておられる。阿弥陀仏が立てられた、深重じんじゅうなる誓願(第十八願)が実を結んでいることを、当然わきまえるべきである。衆生が称名念仏すれば必ず往生できる」という〔善導大師の〕解釈を信じ、深く本願を頼みとして、ひたすらに〔阿弥陀仏の〕名号を称えるべきです。名号を称えれば三心が自ずと具わるのです。