御法語
ある時には世間の無常なる事を思いて、この世の幾程なき事を知れ。ある時には仏の本願を思いて「必ず迎え給え」と申せ。
ある時には人身の受け難き理を思いて、このたび虚しく止まん事を悲しめ。「六道を廻るに、人身を得る事は、梵天より糸を下して、大海の底なる針の穴を通さんがごとし」と云えり。
ある時は「遇い難き仏法に遇えり。このたび出離の業を植えずば、いつをか期すべき」と思うべきなり。ひとたび悪道に堕しぬれば、阿僧祇劫を経れども三宝の御名を聞かず。いかに況や、深く信ずる事を得んや。
ある時には我が身の宿善を悦ぶべし。かしこきもいやしきも、人多しといえども、仏法を信じ、浄土を欣う者は希なり。信ずるまでこそ難からめ、謗り憎みて悪道の因をのみ造る。
然るにこれを信じ、これを貴びて、仏を頼み、往生を志す。これ偏に宿善の然らしむるなり。ただ今生の励みにあらず。往生すべき期の至れる也と、頼もしく悦ぶべし。かようの事を、折に随い、事に依りて思うべきなり。
現代語訳
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ある時には世間の無常なる事を思いて、この世の幾程なき事を知れ。ある時には仏の本願を思いて「必ず迎え給え」と申せ。
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ある時には、世間が無常であることを思って、この人生がさほど長くないことをわきまえなさい。
またある時には、阿弥陀仏の本願を思って、「必ず極楽へお迎えください」と口に出しなさい。 -
ある時には人身の受け難き理を思いて、このたび虚しく止まん事を悲しめ。「六道を廻るに、人身を得る事は、梵天より糸を下して、大海の底なる針の穴を通さんがごとし」と云えり。
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ある時には、人間としては生まれ難いという道理を思い、この人生がその甲斐もなく終わるかもしれないことを悲しみなさい。「六道を輪廻する中で、人の身を得ることは、梵天から糸を垂らして、大海の底に沈む針の穴を通すようなものだ」と言われています。
※虚しく止まん事=仏道修行をせずに人生を終えるかもしれないこと。
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ある時は「遇い難き仏法に遇えり。このたび出離の業を植えずば、いつをか期すべき」と思うべきなり。ひとたび悪道に堕しぬれば、阿僧祇劫を経れども三宝の御名を聞かず。いかに況や、深く信ずる事を得んや。
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またある時には、「遇いがたい仏教に遇うことができた。この生涯で輪廻を逃れるための修行を積まなければ、いつの日に期待できようか」と思うべきです。ひとたび悪道に堕ちてしまえば、阿僧祇劫という長い年月を経ても、仏・法・僧という三宝の名さえ聞くこともありません。ましてそれを深く信じることなどできましょうか。
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ある時には我が身の宿善を悦ぶべし。かしこきもいやしきも、人多しといえども、仏法を信じ、浄土を欣う者は希なり。信ずるまでこそ難からめ、謗り憎みて悪道の因をのみ造る。
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ある時には、自分が前世で積んだ善業を喜びなさい。身分の高い人もそうでない人も多くいますが、仏の教えを信じて浄土を願う者はまれであります。信じることまでは難しいにしても、〔多くの人々は〕謗り憎んで悪道に堕ちる原因ばかり造っています。
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然るにこれを信じ、これを貴びて、仏を頼み、往生を志す。これ偏に宿善の然らしむるなり。ただ今生の励みにあらず。往生すべき期の至れる也と、頼もしく悦ぶべし。かようの事を、折に随い、事に依りて思うべきなり。
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ところが〔あなたは〕、この教えを信じ、これを貴んで、阿弥陀仏を頼みとし、往生を志しておられます。これはひとえに、前世で積んだ善業のおかげであります。ただ今生での努力だけではありません。「往生する機会が巡って来たのだ」と頼もしく思ってお喜びください。このようなことを、折にふれ、事に応じて思うべきです。