おわりに
法然上人の教え―解説にかえて
一仏教のあらまし―苦しみから安楽へ
釈尊の説法に始まる仏教の基本は次の通りです。―あらゆる生き物(衆生)は、貪・瞋・痴などの煩悩(後⑨)を具えている限り、善悪の行為(業)を積みながら誕生と死とを繰り返し、迷いの境涯である三界・六道を際限なく輪廻します(前①㉑㉒)。この境涯は、一時的には楽しく見えても、全体としては苦しみに満ちたものです(四苦八苦)。この苦しみを克服し、絶対の安楽を得るためには、戒を保って清浄な生活を行い、定(三昧)によって智慧を磨き、覚を開いて煩悩や業を滅ぼす以外にありません(前②)。
二様々な仏教―宗派の分裂
釈尊は、相手の能力や人柄(機)に合わせてさまざまな教えを説かれ(対機説法)、それが多くの経として残されています(前①)。それらは、みな覚りに導くものですが、互いにあい反する内容もあることから、釈尊が亡くなったあと、「釈尊の出現は、真意としてどの教えを説くためか」(出世の本懐:前④)の問題につき、仏教徒の間で意見が分かれました。これが宗派のおこりです。
三浄土宗と浄土三部経
「浄土三部経(後⑦)にこそ、釈尊の真意が述べられている」と考えるのが浄土宗です。法然上人(一一三三︲一二一二)が、善導大師(六一三︲六八一)の解釈に基づいて立てられました(前㉕)。上人は、浄土宗を立てる目的を、「だれもが極楽往生できるという事実を明らかにするため」とし、またこの事実にこそ浄土宗の勝れた点があるとされています(前⑧)。その教えのあらましを御法語に沿ってまとめてみましょう。
1. 聖道門・浄土門
釈尊の時代やそのすぐ後の時代は今より人々の能力(機)が高く、自力で修行して覚りを得る人は多かったのです。けれども今は末法という、修行も覚りも不可能に等しい時代です。この世で自力に頼って覚りを開く聖道門は捨て、浄土門に依るべきです(前③⑫・後①③)。「浄土門」とは、「自分は修行の叶わぬ者だ」と思い(前㉓㉙・後⑤)、自力をあてにせず(前⑯⑲)、阿弥陀仏の本願の力(他力:後②)を信じ、「南無阿弥陀仏(助けたまえ阿弥陀仏)」と口に称え(称名念仏)、臨終には阿弥陀仏のお迎え(来迎:前㉘・後㉓)を受け、極楽浄土に生まれ変わって(往生)、この世では叶わなかった修行を積み、覚りを開いてこの世に戻り、衆生を救う道です(後㉛)。
2. 本願―過去の誓い
阿弥陀仏は、はるかな昔、世自在王仏のもと、法蔵菩薩と名乗り、自らが打ち立てるべき浄土のありさまを四十八箇条の目標(四十八願)にまとめて、「これらの願いが叶わないようなら覚りを開かない」と誓われ(前⑤)、難行苦行の結果、その願いを成就して現に極楽におられます(前⑩)。その第十八の願いが、「十方の人々が、心から信じて私の浄土に往生したいと願い、口に南無阿弥陀仏(六字の名号)と称えるならば、必ず生まれますように」という「念仏往生の本願」です(前⑤⑥)。「十方の人々」には区別がなく、極悪非道の悪人も、仏教が滅びるであろう未来の人々も含まれます(前⑧・後⑬㉔)。このように阿弥陀仏の本願の力の深く広いさまは人知を超えています(後④)。
3. 専修念仏
往生のための修行には、五種正行と雑行とがあります(後⑦)。しかしその中でも阿弥陀仏が本願において選び取られた念仏(前⑤⑥)こそが、易しい行でありながら、他とは比較にならないほど勝れた、決定的な往生行であり(前⑬・後⑤)、阿弥陀仏と深い縁を結ぶことのできる行なのです(前㉗)。釈尊が弟子阿難に託して念仏を勧められ(後⑥)、六方の無数の諸仏が念仏による往生を保証され(前⑦)、阿弥陀仏が念仏者を、平生から臨終に至るまで救いの光で照らされる(後㉕)のも、念仏が本願の行だからです。ゆえに、他の行をさしおいて(前⑳)、ひたすら念仏に励むべきです(前㉓)。その際、念仏し易い環境を整え(前⑱㉔)、我が身の善悪を問題にせず(前⑩⑪)、生まれつきのまま(前⑭)、ただし出来る範囲で悪を止めて善を行い(前⑩・後⑱㉑)、慢心を起こさず(前㉙)、日課を定め(後⑮)、数珠を繰りながら(後⑯)、自分の耳に聞こえる以上の声を出すべきです(前㉗)。
4. 三心・四修
念仏するにも至誠心(後⑨)、深心(前⑪・後⑩)、廻向発願心(後⑪)という三種の心がまえが不可欠であり、四修という行法(後⑭)が求められますが、そのすべては、阿弥陀仏の救いを信じ、極楽往生を願って「南無阿弥陀仏」と称える中にこもっています(前⑨⑰㉓)。
5. 念仏の利益
念仏すれば、自然に仏・菩薩・天人の守護が得られ(後㉖)、苦しみが軽減され、「阿弥陀仏のおかげでこの程度で済んだ」と喜ぶことができます(後㉗)。
6. 念仏の廻向
親や亡き人に念仏を廻向すれば必ず阿弥陀仏がその人を救われるのです(後⑲㉚)。
*括弧内に関連する法語を前・後篇と章とによって「前⑧」のように示しました。
(本庄良文 記)
対応表
編訳者あとがき
本書は、総本山知恩院布教師会よりの依頼を受け、布教師会顧問上田見宥上人を監修者に戴き、布教師会編集担当の方々と緊密な連絡を取りながら、知恩院浄土宗学研究所の編集委員会(福𠩤隆善、眞柄和人、本庄良文、中御門敬教、西本明央、伊藤茂樹、齋藤蒙光)において作成したものです。法然上人八百年大遠忌を記念する出版物として、法然上人の御心を受け継ぐ手立てとなりますならばこの上ない幸せであります。
末筆ながらこの出版に関られたすべての方々、とりわけ総本山知恩院布教師会、同布教教務部および同朋舎印刷の各位に厚くお礼申し上げます。
知恩院浄土宗学研究所編集委員会
※発行当時の文章をそのまま掲載しています。