御法語
十重を持ちて十念を称えよ。四十八軽をまもりて四十八願を頼むは、心に深く希う所なり。
おおよそいずれの行を専らにすとも、心に戒行を持ちて浮嚢を守るがごとくにし、身の威儀に油鉢をかたぶけずば、行として成就せずという事なし。願として円満せずという事なし。
然るを我等、或は四重を犯し或は十悪を行ず。彼も犯し此も行ず。一人としてまことの戒行を具したる者はなし。
「諸悪莫作、諸善奉行」は、三世の諸仏の通戒なり。善を修する者は善趣の報を得、悪を行ずる者は悪道の果を感ずという、この因果の道理を聞けども聞かざるがごとし。はじめて言うに能わず。
然れども、分に随いて悪業を止めよ。縁に触れて念仏を行じ、往生を期すべし。
現代語訳
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おおよそいずれの行を専らにすとも、心に戒行を持ちて浮嚢を守るがごとくにし、身の威儀に油鉢をかたぶけずば、行として成就せずという事なし。願として円満せずという事なし。
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およそどのような修行に専心するにしても、心に戒の行を保つには、〔水の中で〕浮き袋を手放さないかのようにし、身の振る舞い〔を正す〕には、油で満ちた鉢を傾けないほどの注意を払うようにします。そうすれば、いかなる行も成就しないことはなく、いかなる願も叶わないことはありません。
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けれども我々は、あるときには四重罪を犯し、またあるときには十悪を行います。あれも犯し、これも行います。誰一人、真に戒の行を保つ者はありません。
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「諸悪莫作、諸善奉行」は、三世の諸仏の通戒なり。善を修する者は善趣の報を得、悪を行ずる者は悪道の果を感ずという、この因果の道理を聞けども聞かざるがごとし。はじめて言うに能わず。
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「諸の悪を作すこと莫れ、諸の善を奉行せよ」とは、過去・現在・未来の三世のすべての仏が共通してお教えになる戒であります。「善を修める者は善趣の報いを得、悪を犯す者は悪道の果を受ける」という、この因果の道理を聞いても、まるで聞いていないかのようであります。それは改めて言うまでもないことです。
※諸悪莫作、諸善奉行=「すべての悪をなさず、善きことを行え」の意。『法句経』下(『大正蔵』四・五六七頁中)。七仏通誡偈。
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然れども、分に随いて悪業を止めよ。縁に触れて念仏を行じ、往生を期すべし。
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けれども、出来る範囲で悪業をとどめなさい。折にふれて、念仏を修め、往生を願いなさい。