御法語
それ、浄土に往生せんと欲わば、心と行との二つ、相応すべきなり。かるが故に善導の釈に、「但しその行のみあるは、行すなわち孤にして、また至る所なし。但その願のみあるは、願すなわち虚しくして、また至る所なし。必ず願と行と相扶けて、為す所みな剋す」と云えり。
およそ往生のみに限らず、聖道門の得道を求めんにも心と行とを具すべしと云えり。発心・修行と名づくるこれなり。今この浄土宗に、善導のごときは、安心・起行と名づけたり。
現代語訳
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それ、浄土に往生せんと欲わば、心と行との二つ、相応すべきなり。かるが故に善導の釈に、「但しその行のみあるは、行すなわち孤にして、また至る所なし。但その願のみあるは、願すなわち虚しくして、また至る所なし。必ず願と行と相扶けて、為す所みな剋す」と云えり。
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さて、浄土に往生しようと思うならば、心と行との二つが一致していなければなりません。ですから、善導大師の解釈に、「ただその行だけがあるというのも、行が孤立して、行き着く先がない。ただその願いだけがあるというのも、願いが虚しいものとなって、やはり行き着く先がない。必ず願と行とが互いに助け合うときに、目的はみな達成される」と言われています。
※但し…みな剋す=『観無量寿経疏』「玄義分」(『浄全』二・一〇頁上)。