御法語
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毎日の所作に、六万十万の数遍を、念珠を繰りて申し候わんと、二万三万を、念珠を確かに一つずつ申し候わんと、いずれかよく候うべき。
答う。凡夫の習い、二万三万を当つとも、如法には適い難からん。ただ数遍の多からんには過ぐべからず。名号を相続せんためなり。必ずしも数を要とするにはあらず。ただ常に念仏せんがためなり。数を定めぬは懈怠の因縁なれば、数遍を勧むるにて候。
現代語訳
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毎日の所作に、六万十万の数遍を、念珠を繰りて申し候わんと、二万三万を、念珠を確かに一つずつ申し候わんと、いずれかよく候うべき。
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〔問い。〕毎日の勤めにおいて、六万遍、十万遍の念仏を、数珠を〔おおまかに〕繰って称えるのと、二万遍、三万遍の念仏を数珠で確実に一つずつ称えるのとでは、どちらがよいのでしょうか。
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答う。凡夫の習い、二万三万を当つとも、如法には適い難からん。ただ数遍の多からんには過ぐべからず。名号を相続せんためなり。必ずしも数を要とするにはあらず。ただ常に念仏せんがためなり。数を定めぬは懈怠の因縁なれば、数遍を勧むるにて候。
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答え。凡夫の常として、二万遍、三万遍を〔日課に〕割り当てたとしても、仏の教えに適うことは難しいでしょう。とにかく念仏の数が多いのに越したことはありません。名号を称え続けるためです。必ずしも数そのものが重要なのではありません。ただ常に念仏するためです。念仏の数を定めないのは怠け心のもとになるので、数を決めた念仏をお勧めするのです。