法然上人のお言葉

後篇
第十五章

日課にっか

念仏は日課を決めて数多く称えよ。

(勅伝第二十二巻)

御法語

毎日まいにち所作しょさに、六万十万ろくまんじゅうまん数遍すへんを、念珠ねんじゅりてもうそうらわんと、二万三万にまんさんまんを、念珠ねんじゅたしかにひとつずつもうそうらわんと、いずれかよくそうろうべき。

こたう。凡夫ぼんぶならい、二万三万にまんさんまんつとも、如法にょほうにはかながたからん。ただ数遍すへんおおからんにはぐべからず。名号みょうごう相続そうぞくせんためなり。かならずしもかずようとするにはあらず。ただつね念仏ねんぶつせんがためなり。かずさだめぬは懈怠けだい因縁いんねんなれば、数遍すへんすすむるにてそうろう

現代語訳

毎日まいにち所作しょさに、六万十万ろくまんじゅうまん数遍すへんを、念珠ねんじゅりてもうそうらわんと、二万三万にまんさんまんを、念珠ねんじゅたしかにひとつずつもうそうらわんと、いずれかよくそうろうべき。

〔問い。〕毎日の勤めにおいて、六万遍、十万遍の念仏を、数珠じゅずを〔おおまかに〕繰って称えるのと、二万遍、三万遍の念仏を数珠で確実に一つずつ称えるのとでは、どちらがよいのでしょうか。

こたう。凡夫ぼんぶならい、二万三万にまんさんまんつとも、如法にょほうかながたからん。ただ数遍すへんおおからんにはぐべからず。名号みょうごう相続そうぞくせんためなり。かならずしもかずようとするにはあらず。ただつね念仏ねんぶつせんがためなり。かずさだめぬは懈怠けだい因縁いんねんなれば、数遍すへんすすむるにてそうろう

答え。凡夫の常として、二万遍、三万遍を〔日課に〕割り当てたとしても、仏の教えに適うことは難しいでしょう。とにかく念仏の数が多いのに越したことはありません。名号を称え続けるためです。必ずしも数そのものが重要なのではありません。ただ常に念仏するためです。念仏の数を定めないのは怠け心のもとになるので、数を決めた念仏をお勧めするのです。