御法語
弥陀の本願を深く信じて、念仏して往生を願う人をば、弥陀仏より始め奉りて、十方の諸仏・菩薩、観音・勢至、無数の菩薩、この人を囲繞して、行住坐臥、夜昼をも嫌わず、影の如くに添いて、諸々の横悩をなす悪鬼悪神の便りを払い除き給いて、現世には横さまなる煩なく安穏にして、命終の時は極楽世界へ迎え給うなり。
されば念仏を信じて往生を願う人は、ことさらに悪魔を払わんために、万の仏・神に祈りをもし、慎しみをもする事は、なじかはあるべき。況や、「仏に帰し、法に帰し、僧に帰する人には、一切の神王、恒沙の鬼神を眷属として、常にこの人を護り給う」と云えり。
然れば、かくの如きの諸仏・諸神、囲繞して護り給わん上は、またいずれの仏・神かありて、悩まし妨ぐる事あらん。
現代語訳
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弥陀の本願を深く信じて、念仏して往生を願う人をば、弥陀仏より始め奉りて、十方の諸仏・菩薩、観音・勢至、無数の菩薩、この人を囲繞して、行住坐臥、夜昼をも嫌わず、影の如くに添いて、諸々の横悩をなす悪鬼悪神の便りを払い除き給いて、現世には横さまなる煩なく安穏にして、命終の時は極楽世界へ迎え給うなり。
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阿弥陀仏の本願を深く信じ、念仏して往生を願う人については、阿弥陀仏をはじめ、あらゆる世界の諸仏・諸菩薩、観音・勢至〔などの〕無数の菩薩が、この人を取り囲み、立ち居起き伏し、昼夜を問わず影のように寄り添って、様々な思わぬ悩みごとをもたらす悪鬼・悪神のつけ入るすきを払い除き、現世において不当なわずらいもなく、平穏無事に過ごさせ、命の終わる時には極楽世界へお迎え下さるのです。
※便り=都合のよい状態。便宜。
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されば念仏を信じて往生を願う人は、ことさらに悪魔を払わんために、万の仏・神に祈りをもし、慎しみをもする事は、なじかはあるべき。況や、「仏に帰し、法に帰し、僧に帰する人には、一切の神王、恒沙の鬼神を眷属として、常にこの人を護り給う」と云えり。
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それゆえ念仏を信じて往生を願う人は、ことさら悪魔を払い除くために数多くの仏や神に祈ったり、物忌みしたりする必要がどうしてあるでしょうか。まして、「仏に帰依し、仏の教えに帰依し、仏教教団に帰依する人については、あらゆる神王が無数の鬼神たちを引き連れて常にこの人をお守りになる」と説かれています。
※仏に帰し…護り給う=『往生要集』(『浄全』十五・一一九頁上)に引かれる『護身呪経』。なお、仏・法・僧を「三宝」(後篇第四章「三宝滅尽…往生す」参照)といい、これに帰依する人が仏教徒である。
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然れば、かくの如きの諸仏・諸神、囲繞して護り給わん上は、またいずれの仏・神かありて、悩まし妨ぐる事あらん。
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ですからそのような諸仏や諸神が取り囲んでお守り下さるからには、その上どのような仏や神があって悩まし妨げることがあるでしょうか。