法然上人のお言葉

後篇
第三十章

廻向えこう

念仏を亡き人に廻向すれば、その人は阿弥陀仏の光に照らされ、苦しみを免れる。

(勅伝第二十三巻)

御法語

当時日とうじひごとの念仏ねんぶつをも、かつがつ廻向えこうしまいらせられそうろうべし。ひとのために念仏ねんぶつ廻向えこうそうらえば、阿弥陀仏あみだぶつひかりはなちて地獄じごく餓鬼がき畜生ちくしょうらしたまそうらえば、この三悪道さんなくどうしずみてくるもの、そのくるしみやすまりて、命終いのちおわりてのち解脱げだつすべきにてそうろう

大経だいきょうに、「三途さんず勤苦ごんくところりて光明こうみょうたてまつらば、みな休息くそく復苦悩またくのうなし。寿終じゅじゅうのちみな解脱げだつこうぶらん」とえり。

現代語訳

当時日とうじひごとの念仏ねんぶつをも、かつがつ廻向えこうしまいらせられそうろうべし。ひとのために念仏ねんぶつ廻向えこうそうらえば、阿弥陀仏あみだぶつひかりはなちて地獄じごく餓鬼がき畜生ちくしょうらしたまそうらえば、この三悪道さんなくどうしずみてくるもの、そのくるしみやすまりて、命終いのちおわりてのち解脱げだつすべきにてそうろう

平生においては、毎日のお念仏をも、ともかくも廻向なさるべきです。亡き人のために念仏を廻向すれば、阿弥陀仏は光を放って、地獄・餓鬼・畜生の境界を照らされますので、この三悪道さんなくどうに堕ちて苦しんでいる者も、その苦しみが和らぎ、命が終わって後にはその境界を逃れることができるのです。

※かつがつ=不十分ながら。とりあえず。さしあたって。

大経だいきょうに、「三途さんず勤苦ごんくところりて光明こうみょうたてまつらば、みな休息くそく復苦悩またくのうなし。寿終じゅじゅうのちみな解脱げだつこうぶらん」とえり。

『無量寿経』には「もし三悪道の苦しみの中にあって、この光明を見ることができれば、みな安らぎを得て、二度と悩み苦しむこともなくなり、命が尽きた後、みなそ〔の苦しみの境界〕をのがれるであろう」とあります。

※若し三途…蒙らん=『無量寿経』巻上(『浄全』一・一三頁)。
※解脱=ここでは三途の苦を離れること。直接極楽に往生する場合もあるとされる(『昭和新修法然上人全集』五八七頁)。