御法語
当時日ごとの御念仏をも、かつがつ廻向しまいらせられ候うべし。亡き人のために念仏を廻向し候えば、阿弥陀仏、光を放ちて地獄・餓鬼・畜生を照らし給い候えば、この三悪道に沈みて苦を受くる者、その苦しみ休まりて、命終りて後、解脱すべきにて候。
大経に、「若し三途勤苦の処に在りて此の光明を見たてまつらば、皆休息を得て復苦悩なし。寿終の後、皆解脱を蒙らん」と云えり。
現代語訳
-
当時日ごとの御念仏をも、かつがつ廻向しまいらせられ候うべし。亡き人のために念仏を廻向し候えば、阿弥陀仏、光を放ちて地獄・餓鬼・畜生を照らし給い候えば、この三悪道に沈みて苦を受くる者、その苦しみ休まりて、命終りて後、解脱すべきにて候。
-
平生においては、毎日のお念仏をも、ともかくも廻向なさるべきです。亡き人のために念仏を廻向すれば、阿弥陀仏は光を放って、地獄・餓鬼・畜生の境界を照らされますので、この三悪道に堕ちて苦しんでいる者も、その苦しみが和らぎ、命が終わって後にはその境界を逃れることができるのです。
※かつがつ=不十分ながら。とりあえず。さしあたって。
-
大経に、「若し三途勤苦の処に在りて此の光明を見たてまつらば、皆休息を得て復苦悩なし。寿終の後、皆解脱を蒙らん」と云えり。
-
『無量寿経』には「もし三悪道の苦しみの中にあって、この光明を見ることができれば、みな安らぎを得て、二度と悩み苦しむこともなくなり、命が尽きた後、みなそ〔の苦しみの境界〕を逃れるであろう」とあります。
※若し三途…蒙らん=『無量寿経』巻上(『浄全』一・一三頁)。
※解脱=ここでは三途の苦を離れること。直接極楽に往生する場合もあるとされる(『昭和新修法然上人全集』五八七頁)。