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法然上人の歩まれた道⑱

「二尊のあわれみに応える書」

 『黒谷上人語灯録』は三祖良忠上人の高弟了恵上人がまとめられた法然上人の語録です。黒谷は比叡山にある法然上人の修行の故地、語灯は言葉の灯火のことですから、その書名には法然上人が黒谷での長い修行を経てお心に灯された教えの灯火、という意味が込められています。了恵上人はその灯火が、多くの人々の心に点灯され、受け継がれて行くことを願い、法然上人語録を編集されたのです。

 その中に「御誓言の書」(釈迦・弥陀二尊に誓われた書)という書名を与えられた小篇があります。これがのちに「一枚起請文」と呼ばれるようになります。その本文が終わった後には、「これは御自筆の書なり。勢観聖人にさづけられき」という編者の注記がありますから、この書が法然上人のお傍でいつもお世話をされていた源智上人に授けられたものであることが分かります。

 伝記『法然上人行状絵図』によれば、それは法然上人の最期が近くなった折に、源智上人が形見にとお願いをして頂かれたもので、「一枚消息」と呼ばれています。『黒谷上人語灯録』にはもう一つ、二祖聖光上人が伝えるほぼ同文のものが収録されています。

 このお二人の高弟によって伝えられた小篇は、南北朝・室町時代の七祖聖冏上人や八祖聖聡上人の頃から、今日使われる「一枚起請(文)」という名で呼ばれるようになります。一枚とは一紙に書かれた手紙や文書のこと、起請文とは自分の行いや言葉に、うそ偽りのないことを神仏に誓う文書のことで、平安時代の末ごろから現れ、その誓いに反するようであれば神仏の罰を受けることや、末尾に署名判と年月日を記す形式のものが見られるようになります。

 江戸時代の義山上人は「一枚起請文」を唐笠(傘)の譬えを使い、

「から笠大なりとて、はたまわりを切り捨てることにはあらざるなり。すぼめて小さくするなり。然ればひろげたるが選択集、すぼめたるが一枚起請なり」
(傘が開いたままで大きいからといって周囲を切り捨てたりはしない。すぼめて小さくするのである。だから大きく広げたのが選択集であり、小さくすぼめたのが一枚起請文である)

と説明されています。

 阿弥陀仏が人々を苦しみから救うために発した四十八の願いを説く『無量寿経』には、上中下、どのような根性の者でも一途に(一向に)念仏をすれば、浄土に往生することが出来ると説かれています。またお経の最後には、将来、たとえ他のお経の教えが滅ぶことがあったとしても、釈尊があわれみ(慈悲哀愍)を以って、このお経をさらに百年この世に留めると説かれています。

 釈迦・弥陀二尊が私たちのために準備された救いの道は、散り乱れやすい心を静めてみほとけを念ずる観念の念仏でもなく、みほとけを念ずる大事なわけを師から聞いたり、仏典をひもとき理解して申す念仏でもない。ただ南無阿弥陀仏と称える声の念仏を励みに、二尊が示された一筋の道を疑いなく迷いなく一途に歩めば、みほとけの御胸に叶う心も、仏道を歩む姿勢や態度も、すぼめた傘が開いて行くように具わり、浄土に迎えられるにふさわしい身の上になれる。その他に何か奥深い秘蔵の教えでもあるように思うなら、それは二尊のあわれみから外れ、阿弥陀仏の願いから漏れてしまう。だから小知を振りまわさず、初心者のごとき身になって、二尊のみこころにつながる念仏を一途に申せばよい。

 法然上人が長い求道の歩みを経て、二尊のあわれみに応えるお心を一紙に結晶させ残された御文、それが一枚起請文なのです。

知恩院浄土宗学研究所主任 藤堂 俊英

机に向かって消息をしたためる法然上人(『法然上人行状絵図』巻二十一)

第19回「念仏する所が私の遺跡」