法然上人のお言葉― 元祖大師御法語 ―

前篇
第七章

諸仏証誠しょぶつしょうじょう

六方の諸仏が教えの正しさを証言しておられるから、念仏して弥陀の本願、釈尊の付属、諸仏の守護を一身に受けよ。

(勅伝第二十五巻)

御法語

六方恒沙ろっぽうごうじゃ諸仏しょぶつしたをのべて三千世界さんぜんせかいおおいて、「もはらただ弥陀みだ名号みょうごうとなえて往生おうじょうすというは、これ真実しんじつなり」と証誠しょうじょうたまうなり。これまた念仏ねんぶつは、弥陀みだ本願ほんがんなるがゆえに、六方恒沙ろっぽうごうじゃ諸仏しょぶつ、これを証誠しょうじょうたまう。ぎょうは、本願ほんがんにあらざるがゆえに、六方恒沙ろっぽうごうじゃ諸仏しょぶつ証誠しょうじょうたまわず。

これにつけても、よくよく御念仏候おねんぶつそうろうて、弥陀みだ本願ほんがん釈迦しゃか付属ふぞく六方ろっぽう諸仏しょぶつ護念ごねんふかこうぶらせたまうべし。

弥陀みだ本願ほんがん釈迦しゃか付属ふぞく六方ろっぽう諸仏しょぶつ護念ごねん一々いちいちむなしからず。このゆえに、念仏ねんぶつぎょうは、諸行しょぎょうすぐれたるなり。

現代語訳

六方恒沙ろっぽうごうじゃ諸仏しょぶつしたをのべて三千世界さんぜんせかいおおいて、「もはらただ弥陀みだ名号みょうごうとなえて往生おうじょうすというは、これ真実しんじつなり」と証誠しょうじょうたまうなり。これまた念仏ねんぶつは、弥陀みだ本願ほんがんなるがゆえに、六方恒沙ろっぽうごうじゃ諸仏しょぶつ、これを証誠しょうじょうたまう。ぎょうは、本願ほんがんにあらざるがゆえに、六方恒沙ろっぽうごうじゃ諸仏しょぶつ証誠しょうじょうたまわず。

六方世界の無数の諸仏が、舌をのばして三千世界を覆い、「〈専ら阿弥陀仏の名号のみを称えて往生する〉という教えは、真実である」と証言なさるのです。これも念仏が阿弥陀仏の本願であるので、六方世界の数限りない諸仏がこれを真実であると証言なさいます。念仏以外の行は本願ではないので、六方世界の無数の諸仏が、真実であるとは証言なさいません。

※舌をのべて=「仏の身体的特徴(三十二相)の一つである長い舌をのばし、その言葉に嘘がないことを表わして」の意。

これにつけても、よくよく御念仏候おねんぶつそうろうて、弥陀みだ本願ほんがん釈迦しゃか付属ふぞく六方ろっぽう諸仏しょぶつ護念ごねんふかこうぶらせたまうべし。

このことからしても、しっかりとお念仏なさって、阿弥陀仏の本願、釈尊の付属、六方世界の諸仏の守護を、深くお受けになって下さい。

※弥陀の本願、釈迦の付属、六方の諸仏の護念=本願は『無量寿経』、付属は『観無量寿経』、護念は『阿弥陀経』の説。

弥陀みだ本願ほんがん釈迦しゃか付属ふぞく六方ろっぽう諸仏しょぶつ護念ごねん一々いちいちむなしからず。このゆえに、念仏ねんぶつぎょうは、諸行しょぎょうすぐれたるなり。

阿弥陀仏の本願、釈尊の付属、六方世界の諸仏の守護は、それぞれに、みなじつのあるものなのです。それゆえ念仏の行は、他の様々な修行より勝っているのです。