御法語
念仏の行者の存じ候うべき様は、後世を恐れ、往生を願いて念仏すれば、終るとき必ず来迎せさせ給うよしを存じて、念仏申すより外のこと候わず。
三心と申し候うも、ふさねて申す時は、ただ一つの願心にて候うなり。その願う心の偽らず、飾らぬ方をば、至誠心と申し候。この心のまことにて、念仏すれば臨終に来迎すということを、一念も疑わぬ方を、深心とは申し候。この上、我が身も彼の土へ生まれんと欲い、行業をも往生のためと向くるを、廻向心とは申し候うなり。
この故に、願う心偽らずして、げに往生せんと思い候えば、自ずから三心は具足することにて候うなり。
現代語訳
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念仏の行者の存じ候うべき様は、後世を恐れ、往生を願いて念仏すれば、終るとき必ず来迎せさせ給うよしを存じて、念仏申すより外のこと候わず。
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念仏の行者が心得ておくべきことは、来世の苦しみを恐れ、往生を願い、念仏すれば、命の終わる時には必ず〔阿弥陀仏が〕お迎え下さると信じて、念仏をお称えするより他の事はありません。
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三心と申し候うも、ふさねて申す時は、ただ一つの願心にて候うなり。その願う心の偽らず、飾らぬ方をば、至誠心と申し候。この心のまことにて、念仏すれば臨終に来迎すということを、一念も疑わぬ方を、深心とは申し候。この上、我が身も彼の土へ生まれんと欲い、行業をも往生のためと向くるを、廻向心とは申し候うなり。
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〔念仏者に必要不可欠な〕三心と申しますのも、まとめて申す時は、ただ一つの、〔往生を〕願う心以外にありません。その願う心に、嘘偽りがなく、取りつくろうことのない点を至誠心と申します。この心が真実であって、「念仏すれば、〔阿弥陀仏が〕臨終の時にお迎え下さる」ということを瞬時も疑わない点を深心と申します。その上に、自身は「かの浄土へ生まれよう」と願い、善行の功徳は往生のためにと振り向けるのを廻向心と申すのです。
※ふさねて=底本では「かさねて」とある。『勅伝』に従う。
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この故に、願う心偽らずして、げに往生せんと思い候えば、自ずから三心は具足することにて候うなり。
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こういうわけで、願う心に嘘偽りがなく、本当に往生したいと思えば、自然と三心は具わることになるのです。