知恩院 法然上人 御忌大会

令和7年4/18(金)~25(金)

御忌大会(ぎょきだいえ)

御忌大会(ぎょきだいえ)は、法然上人がお亡くなりになられた日を期して行われる忌日法要です。
4月18日午後から25日までの8日間、御影堂にて日中・逮夜の各法要が勤められます。
どなたでもお参りいただけますので、ぜひご参拝ください。

日程と御導師

日程 時間 行事
18日 14:00~

開白逮夜法要

〈導師〉
知恩院門跡 伊藤唯眞猊下

19日 10:30~

日中法要

〈唱導師〉
京都教区 長圓寺
公月 惠介 上人

公月 惠介 上人
14:00~

逮夜法要

〈導師〉
大阪教区 玄清寺
杉森 隆志 上人

杉森 隆志 上人
20日 10:30~

日中法要

〈唱導師〉
兵庫教区 徳圓寺
滿仲 諦堂 上人

滿仲 諦堂 上人
14:00~

逮夜法要

〈導師〉
兵庫教区 観音寺
池上 昭信 上人

池上 昭信 上人
21日 10:30~

日中法要

〈唱導師〉
福岡教区 浄蓮寺
後根 𣳾定 上人

後根 𣳾定 上人
14:00~

逮夜法要

〈導師〉
知恩院 執事長
貴田 善澄 上人

22日 10:30~

日中法要

〈唱導師〉
滋賀教区 常永寺
山内 啓信 上人

山内 啓信 上人
14:00~

逮夜法要

〈導師〉
浄土宗 宗務総長
川中 光敎 上人

23日 10:30~

日中法要

〈唱導師〉
大阪教区 得生寺
加藤 弘量 上人

加藤 弘量 上人
14:00~

逮夜法要

〈導師〉
東京教区 祐天寺
巖谷 勝正 上人

巖谷 勝正 上人
24日 10:30~

日中法要

〈唱導師〉
奈良教区 満願寺
鷲尾 隆基 上人

鷲尾 隆基 上人
14:00~

逮夜法要

〈導師〉
知恩院門跡 伊藤唯眞猊下

25日 11:00~

日中法要

〈御當日唱導師〉
京都教区 光福寺
神居 伸行 上人

神居 伸行 上人
御忌大会

御忌中の行事

14日(月)~15日(火)
  • 吉水講詠唱奉納大会
18日(金)
  • 献華式(華頂流)
  • 高齢者招待祝賀会
  • ミッドナイト念仏in御忌(〜19日早朝)
20日(日)
  • 楷定念仏奉納
  • 各宗本山・官公庁・総代招待
21日(月)
  • 総本山待遇者叙任式
22日(火)
  • 写経会
  • 納経法要
  • 宗門功労者表彰式・高齢者壽賀式
23日(水)
  • 宗門学校音楽法要
  • 納骨堂参拝
24日(木)
  • 叙任式
25日(金)
  • 献茶式(裏千家)
  • 御廟参拝
  • 放生会
期間中
18日(金)
~25日(金)
  • 御忌布教、華頂流花道展(※会期が変更になる場合があります)
    全国青少年書道展

日程の詳細はこちら

日中法要

日中法要
時間
午前10時30分(25日は午前11時)
場所
御影堂

日中法要では、法然上人を讃える節付きの諷誦文(ふじゅもん・祖師報恩の志を述べる文)の唱導(しょうどう)が行われます。この諷誦文を唱える役が、「唱導師」です。唱導師をされる方は、諷誦文の唱え方や作法を指南により半年にわたって教授されます。唱導師は、内陣中央の高座へ、御門跡猊下は、外陣寄りに設えられた高座に着かれます。
当日は紫色の衣に、浄土宗独特の七九条(しちくじょう)袈裟を被着し唱導師を勤められます。

逮夜法要

逮夜法要
時間
午後2時
場所
御影堂

後柏原(ごかしわばら)天皇から詔勅を賜ったとき、笏(しゃく)も共に下賜(かし)されました。これにちなんで、逮夜(たいや)法要では、笏を打ち拍子をとり、念仏を称えながら堂内を練り歩く「笏念仏(しゃくねんぶつ)」行道(ぎょうどう)が行われます。
逮夜法要は本来、御門跡猊下が導師を勤められますが、明治12年(1879)より宗門興隆のため、特に貢献された諸上人に御門跡猊下の御名代として御奉仕いただいております。

御忌の由来

法然上人の忌日法要を「御忌(ぎょき)」と呼ぶようになったのは、大永4年(1524)に、後柏原(ごかしわばら)天皇が、「大永の御忌鳳詔」という詔勅(しょうちょく)を下されたことによります。その勅旨には、「毎年正月、京畿の門葉を集め、一七(いちしち)昼夜にわたって法然上人御忌をつとめ、はるかに教えの源をたずねよ」とあります。
ここに、御忌は勅会(ちょくえ)として定められ、1月18日よりご命日の25日まで、法要が営まれることになりました。以来、天皇の忌日法要を指す「御忌」が、法然上人に対しても用いられることになったのです。

御忌詣で

江戸時代になると、徳川家の外護(げご)を受けて慶長年間にほぼ現在の知恩院の寺域が整います。それとともに、御忌の法要もまた、法然上人の教えを慕う全国の人々が集い、ますます盛大に勤められるようになりました。当時の人々が、一年の寺参りの始めとして華やかに着飾って参拝に出かけたこともあって、御忌は「衣装競べ」とも呼ばれました。「着だをれの京を見に出よ御忌まふで」(几董)という句も残されています。また「なには女や京を寒がる御忌詣」「御忌の鐘ひゞくや谷の氷まで」(蕪村)とも詠まれていますから、冬の寒さの残る中での京都詣でだったようです。
明治10年(1877)より、多くの人々に参詣いただけるよう、旧暦の1月から、時候の良い新暦の4月に御忌が勤められるようになりました。

御忌大会