『共命の鳥』総本山知恩院門跡 伊藤唯眞
極楽世界の空想の鳥

雅楽「迦陵頻」では、四人の童子が「迦陵頻伽」の姿で舞う
本日の題にある「共命(ぐみょう)の鳥」というのは聞きなれない鳥の名前かと思います。実は、この鳥は、浄土三部経の中の一つ、『阿弥陀経』に出てくる仮想の鳥なのです。
『阿弥陀経』というお経は、浄土宗では鳩摩羅什(くまらじゅう)(344-413)が中国語に翻訳したものを日本語の発音で称えています。仏教はインドに興ったわけですから、当然お経もインドの言葉だったので、中国語に翻訳する僧侶が必要となりました。鳩摩羅什は名翻訳家で、阿弥陀経以外にも法華経、維摩経などたくさんの経典を訳しています。父親がインド人、母親が亀茲(きじ)(現在の中国新疆自治区辺り)の王族の出身であり、インドの言葉にも中国の言葉にも長けていた関係で、長安(現在の西安)の都に招かれ、そこで一心に経典の翻訳に当たりました。
極楽浄土には、きれいな声でさえずる色鮮やかな鳥として、白鵠(びゃっこく)、孔雀(くじゃく)、鸚鵡(おうむ)、舎利(しゃり)、迦陵頻伽(かりょうびんか)、そして共命の鳥が出てきます。白鵠は白い水鳥であり、舎利は九官鳥のことですから、迦陵頻伽と共命の鳥のほかは地球上に実在しているわけです。迦陵頻伽の方は頭が人間、そして体は鳥の姿です。これに対して共命の鳥の方は、頭が二つある双頭一身なのです。双頭は人面だけではなく、鳥の場合もあります。
阿弥陀経では、これらの鳥は、昼夜六時にきれいな声で鳴いて仏の法を伝えていると書かれています。そして浄土にいる人たちは、鳴き声を聞くと、仏を念じ、法を念じ、僧を念じる気持ちが自然に出てくるとされます。
「戦い」から「合掌」へ

知恩院に伝わる「出相(しゅっそう)阿弥陀経」。 室町時代の応永33年(1426)造

「出相(しゅっそう)阿弥陀経」の上段には極楽の情景が描かれる
(共命の鳥は池の右上、迦陵頻伽は左下)。
共命の鳥の話は、1世紀ごろに作られた『阿弥陀経』よりもずっと前から語られています。経典に説かれる1つの例を申します。
お弟子さんがある日、お釈迦さんにこういう質問をします。「提婆達多(だいばだった)(釈迦の従兄弟)は、お釈迦さんを妬んで悪いことばかりするが、それはどうしてでしょうか?」
すると、お釈迦さんは「ずっと昔の時代、一身双頭の関係にあった。その時に毒のある実を食べたのが提婆達多で、私は体に役立つ方の実を食べた。かつてのことがそのまま続いており、私はいつも提婆達多に足を引っ張られている」と語ったそうです。
双頭の鳥は芸術的な作品として描かれたり、また、彫刻としても出てきます。仏教が北インドから中央アジアを経て現在の中国新疆ウルムチあたりに伝わりますと、寺院では絵に表されます。唐の時代に造られた金銅製でメッキされたものを見ると、手は合掌しています。ですからここでは双頭は対立ではなく一つの心を持つものとして合掌の姿で表したといえます。新疆ウルムチから出土したものは双頭の顔が成人男女です。お互いに肩を寄せ、右手と左手を差し出して合掌しています。
共命の鳥の双頭は、だんだん人の顔の形となり、しかも穏やかな顔となったわけです。
共命の鳥から学ぶこと
この共命の鳥の教えを今、私たちは参考にしなければならないと思っています。1つの組織で伯仲した勢力がある場合、よかれと思ってしたことが相手に理解されない場合も多いことでしょう。しかし、同じ組織に属しているものであれば、よく相手の立場を考えなければ組織全体の命をなくすことになってしまいます。
私どもは、この共命の鳥の教えを考えることにより、相手の慈しみの心に気付かずに双方が命を落としてしまうような結果にならないようにしたいものです。そして、相手の右手と自分の左手を合わせて合掌する姿をとるように考えてほしいと思います。
阿弥陀経の中に出てくる共命の鳥は阿弥陀仏の化鳥であり、私たちに法を説く鳥です。単に極楽に住む情景を想像するだけでなく、この鳥から多くの法を学び、参考にしていただければと思います。
掲載のご案内
この稿は、平成26年7月30日、法然上人御堂(集会堂)で行われた第48回「暁天講座」から要旨を採録しました。「知恩」平成26年9月号に本稿をさらに詳しく掲載しています。「知恩」についてはこちらをご覧ください。