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法然上人の歩まれた道①

「はじめに祈りありき」

 知恩院の三門を入ると正面に急こう配の石段、右手にはゆるやかな石畳の坂道があり、御影堂や阿弥陀堂へ続いています。そこから法然上人の御廟と知恩院で最古のお堂である勢至堂(室町時代の造立)へは、さらに長い石段をのぼります。この石段が造られてから長い時を経ても、私たちがその上を安心して歩くことができるのは、一つ一つの敷石を誠意をこめて敷きつめてくれた先人の仕事のおかげです。

三門正面より男坂を見上げる

 思えば誰の暮らしにも、そのような足元があります。そして仏縁法縁に触れて暮らす私たちには、法然上人が願いをこめて敷きつめて下さった、みほとけにつながる確かな道があります。二年後に浄土宗は開宗八五〇年を迎えます。ここでは法然上人が歩まれた道をふり返り、私たちに示された浄土への道に目を向けてみたいと思います。

 伝記によれば、法然上人は美作の国(現在の岡山県)で、ご両親が心をこめて仏や神、とくに観音ボサツに祈られる中で誕生されたとのことです。ところで親から生まれた子のことを、イキを意味する息の一字で、あるいは息子や息女と表すことがあります。仏典(『摩訶止観』の注釈書)ではそのわけを、子が母の胎内にある時は、へその緒を通して気息や栄養を送り届けてもらっていた。だから親から生まれた子を息という字で表現するのだ、と説明しています。命の糧を届けるその緒に私たちの人生の出発点があり、家族の絆や友だちの絆や地域の絆の原形があります。

 私たち仏教徒の暮らしは、仏(良医)と法(良薬)と僧(看護人)の三宝に帰依する思いを、自分の声で表明するところからスタートします。では母が胎児に代わり、南無帰依仏・南無帰依法・南無帰依僧と唱えたとしたら、その子が三宝に帰依を表明したことになるのでしょうか。仏典(『大毘婆沙論』)によれば、それは本来の帰依の姿ではないけれども、将来その子を善の道に導く良き縁となるから有効なのだ、と説明しています。法然上人のご両親は祈りを通して、将来わが子が仏の道を歩むことになる仏縁を授けておられたのです。

 三宝の話が出たところで、私たちの暮らしは何を大事にすべきなのかという価値意識の問題に触れておきたいと思います。仏教では先ほど紹介したように、苦しみを癒すはたらきを備えたものを大事な宝とみるのです。それは四苦八苦にほんろうされることなく、苦しみの波をみんなで乗り越えていく、つまり頂いた命を大切に使うところに、この世に生まれた者の使命を認めるからです。

 ちなみに三宝というまとめ方は、インドの宗教や中国の思想にもみられます。例えば仏教と同じインドに生まれたジャイナ教では、正見・正知・正行を三宝(あるいは三徳)とみなし、中国では老子が慈・倹・敢えて天下の先とならずを、孟子は土地・人民・政事を、道家は目・耳・口を、それぞれ三宝とみなしています。三宝の内容は違っていても、私たちの暮らしを健全なものへと導く道しるべが、東洋の精神文化の中で三つにまとめられ、重んじられてきたのです。

 親が生まれたわが子に最初に贈る大事なものが名前です。法然上人には勢至丸という名前が贈られたのです。勢至(スターマ)とは、仏道に精進する勇猛な力を表す言葉で、浄土教では観音ボサツと共に阿弥陀仏に仕える勢至ボサツにその名が付されています。勢至ボサツはお念仏によって真理を悟ったボサツとして知られています(『首楞厳経』)。のちに法然上人が一心にお念仏をしておられた時、勢至ボサツが姿を現されたことなどから(『法然上人行状絵図』巻七)、法然上人は勢至ボサツが仏法流布のためにこの世に姿を現されたお方と仰がれるようになるのです。

知恩院浄土宗学研究所主任 藤堂 俊英

法然上人のお念仏中に来現した勢至ボサツ(『法然上人行状絵図』巻七)

第2回「母の夢 父の願い」