釈尊の傍にいつも居てお世話をしていたのは、阿難尊者(阿難の原語アーナンダは歓喜という意味)で、お説法を聞く機会も多かったところから、仏弟子の中では多聞第一と呼ばれています。
ある時、阿難尊者は釈尊に「善き友をもち、共に居ることは、仏道の歩みにとって、その半分を占めるほど大事なことと思われますが」と尋ねます。ところが釈尊は「そうではない。善き友(カルヤーナ・ミトラ)をもち、共に居ることは、仏道の歩みにとってその全てである」と答えられます。カルヤーナ・ミトラという梵語は、善知識とも翻訳されます。
その場合の知識は、自分の心をよく知っている人、知己、知人という意味です。またカルヤーナ(善き)という語には、幸福な・勝れたという意味もありますから、カルヤーナ・ミトラ(善き友)とは、幸福へ導く勝れた友のことなのです。釈尊はその善知識について、「私を善知識とすることによって、あなた達は苦しみ悩みを乗り越えて行くことができる」と語っておられます。中国天台宗智顗の『摩訶止観』では、この釈尊のお説法を踏まえて、善知識には師となる教授の善知識、学行を共にする同行の善知識、仏道を歩む身を衣食住のさまざまな方面から守る外護の善知識がいる、と仏縁の世界を語っています。
法然上人にとって教授の善知識とは、まずは称名念仏が阿弥陀仏のみこころに叶う往生の道であることを示された善導大師になります。法然上人は『選択集』で、阿弥陀仏の化身と仰がれた善導大師の教えを、阿弥陀仏の直説と受け止め、浄土の教えを説かれるお祖師はいろいろおられるけれども、「偏に善導一師による」(ただ善導大師お一人をよりどころとする)と、全幅の信頼を置いておられます。
それは善導大師がお念仏によって、阿弥陀仏のみこころを身を以って実感された人、「道において既にその証あり」の人、口称三昧を体験した人だからです。病苦を癒す薬が臨床での確証を経て使われるように、お念仏という万機(万人)に癒しの功徳をもたらす万能薬(阿伽陀薬)も、そうした実証を通して勧められているのです。
では法然上人にはどのような同行の善知識がおられたのでしょうか。それにはまず叡空上人を師とする兄弟弟子であり、後に法然上人の高弟となる信空上人をあげることができます。宗祖の門弟では最長老になる信空上人は、後に法然上人から白川の本坊(大本山金戒光明寺の前身)を託されます。
もうお一人、忘れてはならないのは善導大師の教えに傾倒され、お念仏によって阿弥陀仏の世界を感得しておられた遊蓮房円照というお方です。伝記には法然上人の、「浄土の法門と遊蓮房とにあえるこそ、人界の生を受けたる思い出にては侍れ」(お念仏の教えと遊蓮房に出会えたこと、それが人の世に生まれた思い出なのです)との述懐が伝えられています。
遊蓮房は信空上人とは縁故の人で、京の都の西(西山広谷)に住んでおられました。念仏往生の確信を得た法然上人はやがて比叡山を離れ、お念仏の声による共鳴の世界を慕って遊蓮房の傍に、さらに知恩院がある吉水の地に移られるのです。後に法然上人は六歳ほど年下の遊蓮房の臨終の善知識をつとめられます。
法然上人のご法語には、自分の心を護り、信心を催す一つの方法として、「常に善き友に遭いて心を恥しめられよ。人の心は多く悪縁によりて悪しき心の起こるなり。されば悪縁をば去り、善縁には近づけといえり」と、善き友と共生する暮らしをすすめておられます。自分の気づかぬことに気づかせてくれ、より善き道へと導いてくれる、そういう友に親しみ近づくことが、自分を悪縁から護り、信心を培う方法であると示されているのです。
知恩院浄土宗学研究所主任 藤堂 俊英

遊蓮房の臨終に寄り添う法然上人(『法然上人行状絵図』巻四十四)