総本山知恩院布教師会副会長 勝部正雄(かつべ しょうゆう)

総本山知恩院布教師会副会長
勝部正雄
時間に追われ、時間を追いつつ一日がようやく終わり、わが家へ向かう電車は、結界のようなトンネルを通過して無人駅へ着きます。
駅のホームは静寂(せいじゃく)な自然につつまれた高台にあり、村が一望できます。
ここからの十五分ほどの帰路は、語るほどの事物もないごくありふれた山合いの道ですが、四季折々の一木一草の変化や小鳥のさえずりに自然の奥深さを感じさせてくれます。
天候や気温、降水量のいかんによらず、開花の日を記憶しているかのような曼珠沙華が、蕾をつけて合掌しているような姿には、まさしく無私の息吹きそのものという感銘をうけざるを得ません。
天地一切、すべてのものが「自然法爾(じねんほうに)の理」に因り、姿を現しているその不思議さに頭のさがる思いがします。
路傍に咲くシオンにトンボが飛来し、田の稲株にトノサマバッタが無心に登る、その光景の中に、それぞれが宇宙の波動を感受し、生かされながら生きている尊さに心引かれます。
そのような想いの一方で、己が一日のありさまも思い返されます。
利口ぶって、わかったかのように振る舞い、我を忘れて語っていた一時のこと。あれは欺瞞(ぎまん)ではなかったのかと、無意識の世界から自分の俗な姿がふつふつと噴き出してくる様に、心しおれるばかりです。
もの想いにふける秋の夕暮れ、エンマコオロギの清涼な声に諭される次第です。
虚偽(きょぎ)に満ち満ちている昨今とは言いながら、その流れに溺れ、追っかけている愚かさに恥じ入るばかりです。
いつの世に 長きねぶりに 夢覚めて
おどろくことの あらむとすらむ
(西行『山家集』)
佛法の世界に照らし合わせて「私のいのち」を観察しますと、真理に対して無自覚であるがゆえのこころの波動がしきりと起こり、煩い・悩み・苦しみ・痛みなどは極めて強く、高慢な自我と自己中心の生活態度に明け暮れ、他を思いやること少なく、自己が習得した知識を自負して佛智・佛縁に心は行かず、まさに「無佛の人生」を無自覚に歩んでいるありさまではないでしょうか。
かといってそこから眼をはなすこともできず、その枠内に心は封じ込められ、六識(ろくしき)(※1)に誘導されて「ねぶり」をむさぼっています。そのように目覚めることのない苦悩の世を「此岸(しがん)」と呼んでいます。
本来のいのちというものは、決してそのような生活のためにあるのではないはずです。よってこのままで善いとは思えません。
いつの世にか、無明長夜の夢覚めて「おどろくことのあらむとすらむ」と西行法師は述懐され、茜色の夕日を仰ぐように「阿弥陀如来の光明」を蒙り、おだやかで安らかに生かされたいのちの充足を得る「彼岸(ひがん)の実在」をほのかに詠っておられるのです。
それは「架空の話」ではなく、むりやりに信じるだけの世界でもなく、現に実在する彼岸なのです。
ある時、高野の明遍僧都(みょうへんそうず)が、法然上人にお尋ねに来られました。
「如何にしてか生死をはなれ候べき」
上人は答えて給はく、
「南無阿弥陀佛と申して、
極楽を期するばかりこそ、
しえつべき事と存じて候へ」
(和語燈録・第五)
この問答を現代の言葉に置き換えますと、「どのようにして、此岸から彼岸へ生まれることができるでしょうか」
それにたいして法然上人は、「南無阿弥陀佛と申したならば、必ず極楽へ生まれ往くこと。それは、一分のまちがいもないことです」と明解におっしゃっています。
この南無阿弥陀佛の称名行こそ、此岸の枠を超えた「超世(ちょうせ)の光明」であります。
その光はこの世の無意識の底まで照らし、流転のいのちを往生のいのちへ回心(えしん)(※2)させてくださる阿弥陀如来の智慧でもあります。
必ずやこの称名行は、我々の貪欲(どんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)の煩悩(ぼんのう)(※3)悪縁(あくえん)を善縁へと更生させ、光輝く彼岸へと赴かせてくださることです。
さあ、お彼岸の時期を迎えます。
どうか、この人生に「起行(きぎょう)(※4)」ありて「自然法爾」のいのちを感じ得ますように。
どうか、この人生に「安心(あんじん)(※4)」ありて、日々此の岸より彼の岸へ、共に生きて往きますように。
合掌
※1 六識 | 眼・耳・鼻・舌・身・意による認識や知識のこと。 |
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※2 回心 | 邪心から善な心へ変わること。 |
※3 煩悩 | 底なしの心の沼から噴き上がってくる無自覚な貪欲(欲望や執着など)や瞋恚(腹立ち怒りなど)や愚痴(無自覚なこと)により煩い悩むこと。 |
※4 安心・起行 | 念佛をお称えすることを起行といい、それによって心が安らかになることを安心という。 |
プロフィール
勝部 正雄(かつべ しょうゆう)
奈良教区 佛眼寺住職
総本山知恩院布教師会副会長
京都文教小学校長・中高副校長