知恩院の礎を築いた第2世 勢観房(せいかんぼう)源智(げんち)上人の忌日法要です。源智上人は、法然上人のお側近くにお仕えし、亡くなる2日前に「一枚起請文」を授けられています。
声明(しょうみょう)伝承法要
「声明」とは、法要で僧が唱える声楽の総称であり、言葉をもって仏を供養し讃歎する意味で、抑揚や子音を伸ばして経文がお唱えされます。 浄土宗における声明は、法然上人がお唱えされ、天台声明の流れを汲んでいたことを『四十八巻伝』で確認することできます。
しかし、「となえれば、誰もが救われる」というお念仏の教えの広がりとともに、荘重な儀式や声明の発展は進まず、修法が示された経本や法要本も実際の法要で使用される為、保存状態も悪く、残された資料もごくわずかでした。古来より知恩院では大法要が近づくと魚山や延暦寺より天台声明の指導者を招き、式衆の稽古(指導)をつけてもらって来ました。
その折、知恩院と言う場所ではこうと変化や転調等があり、現在の祖山流とされる知恩院の声明となっております。天台声明の指導者の招来は、昭和49年(1974)浄土宗開宗800年慶讃法要を最後に、それ以降は当時の浄土宗法儀司 故宍戸榮雄師に指導を仰ぎ総本山式衆会独自で伝承がされています。
その伝承を確かなものにする為、総本山式衆会では毎年6月に善導忌にて「浄土法事讃」 11月兼実忌には「古式十夜法要」、12月勢観忌では四箇法要のうち、「梵音」「錫杖」を組み入れた次第でおつとめをしています。
勢観房源智(せいかんぼうげんち) (1183-1238)(治承7-暦仁1)
勢観房源智上人は、勢観房あるいは賀茂上人と呼ばれています。総本山知恩院、大本山百万遍知恩寺の第二世として護持興隆に尽くされました。
源智上人は、法然上人が亡くなるまで随侍し、秘書的役割を担われ、法然上人の滅後、供養のために像内に約46,000名の名が書かれた「結縁交名帳」納めた阿弥陀立像を造立されました。
阿弥陀立像の胎内には「建暦2年12月 24日沙門源智敬白」と書された願文も発見されました。これには「私が歩んでこられたのは、海よりも深く、山よりも高い法然上人の恩徳のおかげであり、さらに法然上人はお念仏によってあらゆる人を 救ってくださった。ここにお納めする人びとも同じようにお導きを願うものである」といったことが書かれていたのであります。
「結縁交名帳」の署名は、日本全国におよんでおり、交通手段もない時代に、これ だけの署名を集めるには、全国に広がっていた念仏者の協力はもちろんのこと、それを束ねるけん引者の存在なくしてはできるものではありません。それが源智上人だったのです。

源智上人坐像