華頂特集記事Kacho

2018年11月

寺院葬に見る、
お寺のあり方

葬儀式。それは心を込めて故人を送る営み。
現在はそのほとんどがセレモニーホールで行われるが、
滋賀教区には寺院葬の受け入れをするお寺があった。

育った地で共に送る

6月下旬、滋賀県東近江市五個荘伊野部町にある正福寺では、喪主の希望により、本堂で通夜式が営まれた。住職の関正見さん(51)が導師を勤め、近隣から参列した80名の方々は、本堂の前で静かに手を合わせていた。通夜が終わると親族と隣組で、地域の風習である「西国三十三所御詠歌」の奉納を行う。そして、故人の子、孫、ひ孫が本堂に残り、故人と共に一夜を過ごした。

西国三十三所御詠歌の奉納

 翌日の葬儀式では参列者が120人あり、出棺前には故人と顔を合わせ、最後の別れを告げた。「綺麗な顔してるわ」などと、お別れの花を棺に入れながら故人を見つめる姿は、共に暮らしてきた同志との、心の繋がりを確認しているように感じた。喪主の北川宏さん(60)は「故人にとって何が一番かと考えた時、生まれ育った地で、仲良く暮らしてきた仲間に見送られることだと思いました。これだけたくさんの方に見送ってもらえて、故人にとっても一番の供養になったと思います」と、正福寺での葬儀を希望した思いを述べた。

葬儀には多くの参列者があった

かつての営みの復興

「お寺でお葬式ができるようにならないか?」
きっかけとなったのは自治会の話し合いで出た1つの意見だった。正福寺では八百年大遠忌を前に屋根の葺き替えなどの大改修を行った。せっかくみんなで寄付を出し合いお寺を美しくしたのだから、以前のように活用できないかというものである。正福寺のある地域では、20年ほど前までは皆が自宅で通夜をし、お寺で葬儀をしていた。ところがセレモニーホールができてからは次第に葬儀の場がホールへと置き換わっていき、お寺での葬儀を行わなくなった。
 檀家の多くは自宅・お寺の葬儀を経験した記憶が残っており「自宅で通夜を行うのは大変」「葬列を組んだり、食事場所を確保したり、いろんな手配をするのに人手が要り、大層だ」などの意見が出た。セレモニーホールへと流れていった大きな理由もここにある。そこで、少しでも遺族の負担を減らすために「通夜も葬儀も両方お寺で行えるようにする」ことが提案された。そしてどのような葬儀をするかは、あくまで喪主が決めることとし、「お寺での葬儀を望むならば有効に活用し、葬儀費用を節減できるようにする」ことに決まった。
 再開するにあたり「通夜・葬儀の手順がわからない」という意見もあったため、住職と檀家で協力して葬儀式のマニュアルを作成することにした。まずは必要なことを明確にするため、葬儀の一連の流れや準備物を書きだした。さらに葬儀の意味を理解し、心を込めて故人を葬送できるようにと、儀式作法の意味もまとめた。こうして「伊野部(正福寺)葬儀式の手引き」が完成。檀家全戸にお配りした。

檀家にお配りした葬儀式の手引き

お寺のあり方を考える

 お寺の葬儀にしたことで、まず変わったのは葬儀費用だ。会場費が不要となり、祭壇にかかる費用、スタッフの人件費も節約でき、結果としてホールの時の半分まで抑えることができた。そ
して目に見えて変わったのは、参列者の数だった。檀家の多くはお寺の近くに住んでおり、遠方のセレモニーホールの時は「足が悪いから」と辞退していた人が参列するようになった。また、
ひとつの家から代表者1人だけでなく、複数名が参列するようになった。「ホールの葬儀になって大幅に減っていた参列者が、お寺に戻してから増えました。準備は大変でも、丁寧な営みは大切だと感じました」と関住職。参列者からは「とても温かみを感じるお葬式だった」という感想が多く寄せられ、「質素でいいから私の時もお寺でやってもらいたい」という声もあった。今では葬儀の半分が、お寺で行われるようになっているそうだ。
 その反面、当然ながら葬儀の準備は遺族にとって大きな負担となる。通夜もお寺ですることになったとはいえ、準備には多くの人手が必要であり、親戚や隣近所との信頼・協力関係が必要不可欠となる。加えて経験者がいないとスムーズな進行が難しい。
 お寺にとっても負担となることは大きい。訃報が入ればすぐに本堂の掃除や、受け入れのための準備が必要となる。葬祭業者と遺族の話し合いの場には住職が同席し、葬儀式を主導、寺院葬に慣れていないスタッフと細かな打合せをしなければならない。それでもお寺での葬儀を推進したのはなぜなのか。関住職は思いを語った。
 「近年は葬儀の時でしかお寺と繋がりのない人が増えています。その葬儀でさえお寺で行わないとなると、お寺の存在価値がますます失われてゆくと思います。寺院葬が大変だということは重々承知していますが、お寺と檀家との関係を結び直すためにも、お寺を活用する機会を増やしたいと考えました。心を込めて故人を送るという営みは、故人のためであり、遺族のためであり、ともに同じ時代を生きた仲間のためでもあります。葬儀の本来の意味を知り、形式だけの葬儀にならないようにすること。そこから人間性や社会性が養われ、宗教の意義が共通理解されていくのではないでしょうか」

導師を勤める関住職

(取材・文 關真章)