華頂特集記事Kacho

2019年11月

知恩院の歴史と その周辺

画像:「知恩院総絵図」知恩院所蔵

 知恩院は、法然上人が開いた浄土宗を教化した場所であり、法然上人自身が亡くなった地でもあります。浄土宗の教学や歴史を専門に研究されている、知恩院浄土宗学研究所副主任の伊藤茂樹先生に、法然上人の住居として、またお墓として発展していった知恩院の歴史を振り返っていただきました。

法然上人の住居

 法然上人が生涯にわたって大半の時間を過ごされたのは吉水の地になりますが、吉水の地以外にも、比叡山黒谷、広谷、小松谷、賀茂の河原屋、勝尾寺など、住居を移られました。最初に法然上人が比叡山を出て住居とされたのは西山の広谷というところで、現在の長岡京市にある粟生野光明寺というお寺の後方にあたります。

 法然上人が広谷に移り住んだのは、遊連房円照と会うことが目的でした。円照は、法然上人よりも先に善導大師の「本願念仏」に非常に深い関心を持っておられた方でした。円照が亡くなられる時、まさに善導大師が称えられた本願念仏によって臨終往生を果たされたことから、法然上人は善導大師の教えに確信を持って浄土宗を開いたのです。

 ただ、これらの場所に住まわれたのは少しの期間で、法然上人が住居とされたのは大半が吉水の地になります。知恩院の御影堂のあたりが吉水、勢至堂のあたりが大谷と言われていますが、実際のところはわかっていません。今の知恩院の光景と、800年前の吉水大谷とでは地形もかなり違っていたと思います。

 法然上人が流罪から京都に戻る許可を得た時には、吉水の草庵は荒れ果てていました。そこで九条兼実の弟である青蓮院の慈円の配慮で、大谷の山上の南禅院(大谷の禅房)を住まいとしたといわれています。法然上人は大谷の禅房で亡くなられ、その地に埋葬され、廟堂が建てられました。

御影堂

知恩院の始まり

 大谷の廟堂には、法然上人の遺徳を偲ぶ人たちがたくさんお参りされました。特に、法然上人が往生された1月25日と月命日である25日には法然上人の遺徳を偲ぶ法要が行われていました。最初は別時念仏が行われていたようですが、それから4、5年経つと、法然上人の生前の5つの徳をたたえる「知恩講」と呼ばれる儀式が行われるようになりました。その五徳とは、①「諸宗通達の徳」②「本願興行の徳」③「専修念仏の徳」④「決定往生の徳」⑤「滅後利物の徳」といわれています。この知恩講は非常に盛んに行われ、「知恩院」という呼称は、法然上人の廟堂で「知恩講」が行われていたことが由来と言われています。

 ただ、法然上人の廟堂は安泰ではありませんでした。法然上人が多くの信仰を集めていたことや、法然上人についてよく思っていなかった比叡山延暦寺の衆徒たちが、法然上人の廟堂を暴いて鴨川に遺骸を流そうとしました。弟子たちは事前にその情報を聞きつけ、遺骸を掘り起こして移動させ、粟生野の地で荼毘に付しました。

 遺骸を移した後の廟堂は荒廃しましたが、法然上人の側近である勢観房源智上人が中心となって復興し、1234年、法然上人の二十三回忌に再建されました。この時に初めて知恩院は「知恩教院大谷寺」という名称になります。

勢至堂

現代に伝えていく

 知恩院は、まさに法然上人からはじまります。法然上人はこの地を住まいとされ、臨終を迎え往生されました。そしてお弟子さんが集まった聖地でもあります。現在の知恩院の伽藍が完成するのは江戸時代ということになりますが、それ以前から専修念仏の聖地として多くの人に信仰されていたのです。浄土宗を信仰するものとして、知恩院と法然上人を知ることは非常に大事なことであります。

 さて、平成27年より、私は、月刊『知恩』で「今に生きる浄土宗の教え」という連載を担当しました。そこでは、浄土宗の教え、知恩院について、また法然上人の生涯をテーマとして執筆してまいりました。このたび、『法然上人と知恩院』というタイトルで、おてつぎ叢書を発刊いたしました。法然上人の生涯と教え。そして知恩院の歴史をわかりやすくまとめています。是非お読みいただきたいです。

 法然上人は、まさに称名念仏という一行によりだれもが救われるという平等救済の教えを説くことに生涯を賭けました。それは、現在に至るまで色褪せることなく伝わっています。ぜひ知恩院に参拝して、法然上人の足跡にふれていただきたいです。

おてつぎ文化講座

※ 令和元年7月6日に行われた「第628回おてつぎ文化講座」における同題名の講演から要旨を採録しました。月刊『知恩』11月号にさらに詳しく掲載しています。

月刊『知恩』購読申込み

プロフィール

伊藤茂樹(いとうしげき)

昭和四十六年生まれ。知恩院浄土宗学研究所副主任。華頂短期大学准教授。奈良県五條市称念寺住職。専門分野は日本浄土教、特に法然と法然門下の研究。近年の論文は、「知恩講について」(『浄土宗学研究』四十号、平成二十六年)など。