知恩院さんには祖父の代から出入りをさせていただいておりまして、私で三代目でございます。本日は平成の大修理を請け負われた佐竹商店さんが2年前に制作された資料をもとに、御影堂の畳についてお話ししたいと思います。

繧繝縁を紹介する田代さん
手縫いの畳床(たたみどこ)
御影堂に敷かれている畳は、総計1畳ものが673枚、半畳ものが5枚。すごい枚数です。御影堂の畳は、畳床に使用されている稲わらと丹波裏の変色の進み具合を職人が経験的に判断して、少なくとも200年以上は経過していると考えられます。残念ながら年代を記した証拠も見つからず、稲わらの年代を測定する技法は今のところありませんが、十分に創建当時のものであると思われます。
当初はすべての畳を新調して後に処分する予定だったため、外陣の畳は仮本堂とされていた集会堂の拡張部分に再利用されており、工事に入った時には既にありませんでした。御影堂の畳をすべて修復するのは、予算・工期ともに想像を絶することになるため現在では非常に困難です。手縫いの畳床自体がこれほどの数、さらにこれほど質の高いものは現在では復元できません。
また、御影堂の畳床は機械の仕様から外れており、まず機械から制作する必要がありますが、機械縫いの畳床では手縫いほどの耐久性がなく、寿命が短いと言われています。手縫いの畳床は、作られたときは座布団を敷かなくてもゆっくり楽に座っていただけるようなふわっとした反発があります。昔は材料もよかったですし、手縫いの技術もすごかったので200年、300年も使えるわけです。
御影堂の畳は現在ほかで見ることができないほど貴重な畳であり、畳の歴史を証明する上でも保存・活用されることが望ましいということになりました。以上をふまえ、すでに畳がない外陣の258.5枚と西脇々陣26枚は新調し、他は現状の畳床を再利用し表替えで工事が進められました。
畳縁(たたみべり)
次に畳縁についてですが、宮殿の主室は二重縁になっており、上縁が繧繝縁(うんげんべり)、下縁が純綿光輝縁(じゅんめんこうきべり・赤)、内陣・脇壇前には高麗縁大紋(こうらいべりだいもん)、脇陣・脇々陣には高麗縁小紋、外陣には純綿光輝縁(茶)が使われています。
- 高麗縁大紋
- 高麗縁小紋
- 純綿光輝縁
また、畳の側面には以前使用していた畳縁が幾層にも残っているものがありました。現在大紋縁が使用されている畳も以前は小紋縁だった箇所があり、その材質も絹たて小紋縁や、染小紋だったことが確認できました。

古い小紋縁はできるだけ残して修復された
頭板(かしらいた)
畳床の角が丸くなったり傷んだりするのを防ぐために、畳床と畳表の間に補強材として入れる頭板の状態ですが、ほとんどの頭板は損傷が激しく、中には頭板を何枚も重ねてある箇所もありました。今回、割れているものはすべて取り替えられましたが、明治大修理の墨書がある頭板が発見されました。

「明治38年 大修繕」と書かれた頭板
畳表(たたみおもて)
畳表は熊本産の綿引き通しが使われました。前回の畳替えは平成23年に行われています。畳表は、新品の時は同じ見た目ですが、日焼けが進むにつれて変化します。イグサが栽培される気象環境、品種、生産農家の製造方法、イグサの長さの選別などによって個性が出てきます。そのため畳業界では、同一現場で同一品種の畳表で揃えるのが常識となっています。
今回のように700畳近くもあるうえ、間仕切りもなく一室となる場合、同じ材質のイグサを入手するのは非常に困難でした。今回は1種類のイグサでは足らず、やむなく内陣と外陣で2種類のイグサを使用することになりました。昔でしたら揃えられたのでしょうが、今は年々畳自体も減っておりイグサ農家も激減しているため、よいイグサを探すのは大変だったと思います。
外陣と西脇々陣を除く御影堂の畳には、創建当時の畳床が現在も使用されていると思われます。内陣や脇陣に入られる機会は少ないかと思いますが、御影堂に来られた際にはぜひ足元にも注目してみてください。
参考資料
「畳の修復方法を探る ー知恩院本堂を事例としてー」佐竹 真彰 菱屋畳 佐竹商店代表
『文化財建造物研究 保存と修理』2019 Vol.4 p79~p84
※ 令和2年11月14日に行われたおてつぎ文化講座の講演を要約し加筆したものです。