華頂特集記事Kacho

2021年6月号

「今こそ一丸となってお念佛の声を響かせる時」
総本山知恩院布教師 二橋信玄

 ようこそ総本山知恩院へお参りいただきました。昨年は新型コロナウイルス感染症の感染拡大によって皆さんの前でお話する機会もなくなりましたが、今こうして御影堂でお話させていただけることが本当に涙が出るほど嬉しく思います。

凡夫の心

 お寺は一人でも多くの方にお参りしていただき佛とご縁を結んでいただくため、何としても来てくださいと言わなければならないのですが、コロナによって人との付き合い方が変わって、今は無理して来ないで下さいと言わざるを得ません。コロナは最悪の場合死に至る恐ろしい病です。感染症に対する恐怖心から憎悪や偏見の心が生まれ、感染者の家族、治療に専念している医療関係者の方々に対して不当な差別が起こっていますが、本当にあってはならないことです。

 我々は情けない、凡夫の心を持っています。十分な根拠もなしに他人を悪く言ってしまったことはありませんか。それは貪瞋痴の三毒の煩悩によって、言わなくてもいいことばかり言って人を平気で傷つけて、そのことにすら自分で気付くことができない、迷い苦しむ凡夫だからです。しかし今こそ一度立ち止まって自分を見つめ直す時だと思いませんか。

 朝夕のつらきつとめはみ佛の人になれよの恵みなりけり/税所敦子

 まさに佛が我々に試練を与えてくださっているという思いがいたします。正しく考え、正しく語り、正しく行動するということはどういうことであるか教えてくださっているのです。

 法然上人の弟子に高野山から来られた学者の明遍僧都という方がおられました。この方は法然上人に対して、「末代悪世を生きる私たちのような罪を犯して穢れている凡夫は、一体どうしたらこの迷いの世界から抜け出ることができるのでしょうか」とお尋ねになりました。法然上人は「佛の救いをひたすら信じて南無阿弥陀佛とお念佛を称えなさい」とお説きくださいました。

 しかし明遍僧都は、「お念佛をお称えしても心が乱れる私はどうしたらよいでしょうか」とお尋ねになったら、法然上人は「それは私もです」とおっしゃったのです。みんな一緒だと。心乱れるのが凡夫であり、そんな凡夫こそ佛が救ってくださるとおっしゃっています。佛の救いは理屈ではありません。心が乱れても佛のみ名を称えれば、必ず我々を救ってくださるのです。

耐え忍ぶ場所

 私は、昨年の自粛期間中には草引きや掃除ばかりしておりました。1日中草を引きながら「南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛」とお称えしましたが、私はそれでもまだ足りないと捉えております。お釈迦様は、この娑婆世界は苦しみを耐え忍ぶ場所、「忍土」であるとお示しくださいました。耐えるとはどういうことでしょうか。

 法然上人は、建永の法難という縁にあわれております。いろんな事件が重なって、誹謗中傷を受けて四国へ流罪にあわれましたが、法然上人は「朝恩たるべし」とおっしゃいました。四国はまだお念佛が広まっていない土地でしたので、そこにお念佛を広めるためのご縁をいただいたと申されたのです。その時法然上人は75歳。讃岐の塩飽島(しわくじま)というところにしばらく滞在されました。

 私もそこへ伺いまして、法然上人がお作りになった木鉦(もくしょう)を拝見すると、そこには「忍」という字が書いてありました。それは、どんなことがあろうとも忍んで忍んで大勢の人にお念佛を勧めねばならないという思いが込められていると私は感じました。

祈りで病は治らず

 ある人が私に、お念佛を称えるというのはわかりますが、それでもコロナにかかったらどうするんですかとおっしゃいました。その時は諦めましょう。希望を捨てるという意味ではありませんよ。佛教では「諦観」といって、何が大事かということをあきらかにするという意味になります。生かされている命とはどういうことかを考えて、真実の生き方を見極めましょう。

 法然上人は「祈りで病は治らず」とおっしゃいました。祈ることによって病が治り、寿命が延びるようなことがあるならば、誰一人として病で死ぬ人があるだろうかと。諸行無常の娑婆世界、生老病死から逃れることはできません。それが命というものです。

 そして、お念佛を称えようとするわが身をどのようなことがあっても慈しみ、助けるべきだとお示しくださいました。病を治療することは延命が目的ではなく、お念佛をしっかり称えさせていただくために病気を治さなければならない、そういう気持ちでいてください。

 法然上人は、誉れ高き浄土に往生することこそが喜びの中の喜びであり、「おおらかに念佛を申すが第一の事にて候なり」とお示しくださいました。「おおらかに」とは「たくさん」という意味です。今こそ日本中、世界中で一丸となってお念佛の声を響かせる時。その発信地が総本山知恩院です。それでは最後に法然上人の歌を歌って終わりましょう。

 いけらば念佛の功つもり 死なば浄土へまいりなん とてもかくても此の身には 
思いわずらふ事ぞなきと 思ひぬれば死生ともにわずらひなし

 コロナ禍で大変ではありますが、一喜一憂せず、ただただ阿弥陀様の救いを信じてお念佛の中に生かさせていただきましょう。

※4月10日に開かれた「おてつぎ文化講座」の要旨を採録しました。月刊「知恩」令和3年6月号に本稿をさらに詳しく掲載しています。

月刊誌「知恩」

プロフィール

二橋 信玄(ふたはし しんげん)

昭和28(1953)年、滋賀県八日市市(現・東近江市)生まれ。同53年、佛教大学佛教学科卒業。同59年に浄土宗善覺寺住職。平成29(2017)年から令和3 (2021)年春まで浄土宗滋賀教区長。昭和61年から総本山知恩院布教師(現在、同布教師会参与)。令和元年から総本山知恩院顧問。