死んだらしまいでいいのですか?
「花びらは散っても花は散らない」は、金子大栄先生という偉いお坊さんのお言葉です。花びらが散っていくのであって、花そのものはまた来年再来年、その時期に咲いてくれます。よしんば花を咲かせる木そのものが枯れたとしても、その木の二世三世が又同じ花を咲かせます。私たちの命も遠くはご先祖から、そして親からこの世に命をいただいて子や孫や子孫へとずっと命が連続していくのです。死んだらしまいだとぱっと片付けてしまうのは私は合点がいかないです。
一人称の死ならばそれでいいのです。ご自身の死ですから、自業自得です。でもこれが二人称の死、三人称の死となりましたらそんなことが言えますか。自分の大事な家族や親しい方々、苦労をともにした連れ合いが亡くなったり、自分の子どもや孫が殺されたりして、死んだらしまいで許されるでしょうか。又、次から次へと新聞を賑わせている事故や事件で亡くなっていかれた方々に対して、死にはった、気の毒やけどそれでしまいですみますか?
次に死んだらどうなるか分からぬという人がありますが、如何でしょう? ドイツの詩人であり作家であるゲーテがこう言うのです。
「来世に希望の持てない人は、この世ですでに死んでいるようなものだ」
死んだらどうなのか分からないといった来世に希望の持てない人は、毎日がなにかしら不安で心配で足が地につかない幽霊みたいなものです。これでは、人生は充実せず、有意義な毎日を暮らすことができません。
だから、自らが信じ切り崇めることができる尊い仏様神様のお救いにあずかるしかないのです。極楽や天国、地獄があるのかないのかをいくら議論しても解決しません。有無を論じるのではなくて信じるか信じないかです。信じるとはどういうことか。信という字はにんべんに言葉です。にんべんは人ですから人の言葉を素直に心にいただくのが信心です。人の言葉を素直に仰いでいくことが信仰です。そして、その人というのは誰でもよいというのではありません。世間のすべての人々が崇め、拝むことの出来る人。すなわち私たちにとってはお釈迦さま、法然上人です。だから私たちはお釈迦さま、法然上人のお言葉を素直に受け取らせていただくことで、自分の行き先も分からせていただけるのです。
阿弥陀さまの本願
お釈迦さまがお教えくださる阿弥陀さまというみ仏様の元の願いが本願です。阿弥陀さまは私たちの頭では計り知ることのできない尊い命の親さま、大み親さまです。
法然上人は阿弥陀仏と衆生(生きとし生ける我々)は親子のごとしとおっしゃっています。子どもが親に甘えるように阿弥陀さまに甘えてくれというのが阿弥陀仏の本願です。たとえば子どもが池にはまったら、親はすぐにでも池に飛び込んでわが子を救います。自分の命を捨てても必ずわが子を救ってやりたい、幸せにしてやりたいという願いが本願、親心です。
南無阿弥陀仏の「南無」は、インドの言葉で「どうぞお願いします」「お任せします」という意味です。「お父ちゃんお母ちゃん、どうぞ助けてお願いします。お任せします」と我々が叫んだら、何があっても阿弥陀さまは本願、親心によって必ず私たちを極楽へ救ってくださいます。そして、法然上人は、お念仏ひとつで亡きお方もともども救われてまいりますとお言葉をくださっています。
自分が念仏し極楽に救われるということは、信心深い皆様方なら誰しもが知識として知ってらっしゃいますが、すでに亡くなった人、念仏していない人はどうなるのか。ちゃんと法然上人はお言葉でお教えくださっているのです。
亡き人のために念仏を回向しそうらえば
阿弥陀仏、光を放ちて
地獄・餓鬼・畜生を照らしたまいそうらえば
この三悪道(地獄・餓鬼・畜生)に沈みて
苦を受くるもの
その苦しみ休まりて
命終わりてのち解脱すべきにてそうろう
亡き人のために念仏を回向すれば、阿弥陀さまが知恵と慈悲の光を放ち、亡き人の苦しみが休まって、寿命がつきたのち、解きほぐされるのです。煩悩、悪がほどけるのです。「ほどける」が「仏」です。
コロナで亡くなられた方々のために念仏のご回向、そして自分自身必ず極楽へ往生させていただくと信じ切って、これからの人生をいっそう充実して有意義に生き生かされてまいりたいものです。
※6月12日に開かれた「おてつぎ文化講座」の要旨を採録しました。 月刊「知恩」9月号に本稿をさらに詳しく掲載しています。
プロフィール
有本 亮啓(ありもと りょうけい)
1944(昭和19)年、兵庫県姫路市生まれ。67(同42)年、佛教大学佛教学部卒業。76(同51)年から浄土宗大阪教区大鏡寺住職。81(同56)年から総本山知恩院布教師。大本山百万遍知恩寺布教師会会長など経て2012(平成24)年に総本山知恩院布教師会会長就任。現在、浄土宗常任布教師、大本山百万遍知恩寺布教師会顧問、総本山知恩院布教師会顧問。著書に『下駄ばき説法』『今現在説法』(ともに創教出版)、CD『河内音頭 法然上人一代記』の作詞など。