華頂特集記事Kacho

2021年10月号

京都に伝わる地蔵信仰

写真:地蔵菩薩が祀られる六角堂(上善寺) 

 「お地蔵さん」と呼ばれ、宗派問わず多くの人々に親しまれてきた地蔵菩薩。お釈迦さまが入滅してから弥勒菩薩が現れるまでの間、六道を巡りながら人々を救う役割を担っていた。地蔵菩薩は全国各地に祀られ、毎月24日の縁日には、供養や法要を営む寺院も多い。特に京都は数が多く、街中を歩いていると、あちこちで祠に祀られたお地蔵さんに出会うことができる。

六地蔵巡りの始まり

 京都では、毎年8月22日・23日に、旧街道口に安置された六体の地蔵菩薩を巡拝する「六地蔵巡り」が有名で、「六道めぐり」や「五山の送り火」を終えた後、お盆の締めくくりとして「六地蔵巡り」と「地蔵盆」が行われる。

 伏見六地蔵の大善寺所蔵の『六地蔵縁起』(1665)によると、平安時代初期、熱病を患い危篤状態となった公卿の小野篁(おののたかむら)が地獄で苦しむ人々を救っている地蔵菩薩に出会った。地蔵菩薩から「無縁の衆生を救うことは難しいので、娑婆世界に戻って、地獄の恐ろしさと私のことを伝えてほしい」と告げられ、生き返った篁は、1本の桜の木から六体の地蔵菩薩像を刻み、六地蔵の地に納めたという。昼は朝廷、夜は閻魔大王の元へ出仕していたという伝説があり、京都市東山区の六道珍皇寺の境内には、篁が地獄へ行き来していたとされる井戸が残る。

 平安時代末期には、末法思想とともに地蔵菩薩が地獄から救済してくださるという地蔵信仰が民衆に広まった。都で疫病が流行っていた頃、後白河天皇の勅命により、平清盛は西光法師に命じて、京都の出入り口となる街道沿い六ヶ所に六角堂を建て、一体ずつ御尊像を分置した。これが800年も続く伝統行事「六地蔵巡り」の始まりとなった。

塔婆を水回向する参拝者(大善寺)

町内を見守るお地蔵さん

 六地蔵信仰が広がる中、江戸時代初めに京都の各町内で「地蔵祭」が行われるようになった。各町内の入口に木戸があり、外から悪いものが入ってこないように地蔵菩薩が祀られた。当時の地蔵祭は、総距離35キロにも及ぶ道を歩く六地蔵巡りに巡拝できないお年寄りや子どものための行事でもあった。

 明治時代の廃仏毀釈を経て、「地蔵盆」として復活。京都から関西圏を中心に広まったといわれている。六地蔵巡りの前後になると、京都では個人宅や集会所、公園や寺院など至るところで提灯が飾られた地蔵盆の光景を見ることができる。お地蔵さんを囲み、読経や数珠まわし、法話などを行うのが恒例で、近隣の町内を10軒から20軒近く回る僧侶も珍しくない。行事の開始を知らせる鉦や太鼓の音が響き渡り、子どもたちは地域の人たちと一緒にお菓子配り、福引き、ゲーム大会などを楽しむ。平成26年、地蔵盆は京都市独自の「京都をつなぐ無形文化遺産」に選定された。

 京都の住民は、日頃からお地蔵さんに手を合わせ、当番で祠を掃除し、花や水をお供えしている。日常に溶け込んだお地蔵さんは今日も大地の仏さまとして、町内や人々の安全を守護し、また子どもの仏さまとして子どもの成長を見守っている。

コロナ禍の祈り

 新型コロナウイルスの感染拡大が続く中で行われた六地蔵巡り。昨年に続き今年もコロナ以前の賑わいはなかったが、地元の人や家族連れの姿が多く見られた。京都市北区の上善寺(鞍馬口地蔵)住職の福原徹心さんは「コロナで参拝者は半分ほどに減りましたが、この状況だからこそ疫病退散を願ってお参りされる方もいます。毎年巡拝される熱心な信者の方も多く、京都に根付く地蔵信仰の深さを感じます」と話す。上善寺では、露店の数を減らし、古いお幡はたを吊つるす綱の代わりに返却箱を設置したり、御朱印を書き置きのみにしたりするなどのコロナ対策が講じられていた。

各寺院のお幡(はた)を束ね、家の玄関に吊(つ)るすと、疫病退散、無病息災、家内安全などのご利益があるといわれる

 大善寺(伏見六地蔵)は、六地蔵巡り発祥の地として知られ、多くの人々の信仰を集めてきた。住職の羽田龍也さんは「昔から人々は仏さまの力にすがり、疫病や災害などの困難を乗り越えてきました。地蔵菩薩への信仰が若い世代の人にもっと広まり、代々受け継がれていくように」と願う。

 地蔵盆も少子化やコロナ禍の影響で縮小されつつあるが、時代の変化に応じた工夫をしながら大切に残していくべき宗教行事である。地域の結びつきが薄れてきている現代こそ、世代を超えて交流できる地蔵盆の役割は大きい。

お地蔵さんの前で僧侶と数珠まわしを行う地蔵盆(2019年8月)

(取材・文 田口真理)