華頂特集記事Kacho

2021年12月号

浄土宗開宗への道

 承安5年(1175)、43歳で浄土宗を開かれた法然上人。令和6年には浄土宗開宗850年を迎えます。月刊誌『知恩』において平成31年4月号より約3年間、法然上人の浄土宗開宗について連載いただいている知恩院浄土宗学研究所嘱託研究員の坪井剛さん(41)にお話を伺いました。

 

│研究内容について教えてください

 大学では歴史学(日本史)を専攻し、大学院では日本中世仏教史を研究していました。現在は、中世仏教の中での新仏教の捉え方、新仏教が生まれた経緯などを中心に研究しています。

 仏教が日本に伝来してきたのは6世紀頃ですが、なぜ鎌倉時代に浄土宗をはじめとする新仏教がいくつもでき、大きな勢力となったのか。その日本仏教独自の動きは、歴史を考えていく上でとても面白いです。

 

│どのような思いで知恩誌を執筆していただいていますか?

 知恩誌を執筆するにあたり、当時の慣習の中で法然上人を捉えてみたいと考えていました。

 当時の僧侶の勉強法と比べることで、法然上人の勉学がどれほど大変なものであったのかを知ることができますし、法然上人がどんな思いで修学を行い、開宗にたどり着いたのか、時代背景を踏まえながら書いています。読者の方には、法然上人の足跡を再確認してもらえれば嬉しいです。

 

│法然上人の魅力や人間性で惹かれる部分はありますか?

 法然上人は一切経を5回読むなど大変聡明であったことは有名ですが、自分のバイタリティを持って勉強に励む情熱がすごいです。苦労や絶望もすべて受け止めて返していく力があり、挫折しても諦めずに修行を続けることで光が見えてきたのでしょう。

 私たちが生活する中でもうまくいかないことは多いですが、落ち込んだ時こそ次の道が見えてくることがあります。法然上人の姿から見習うべきところはたくさんあります。

 

│法然上人が25年間仏道を追求し続けた強さ、専修念仏を生み出すことに至った原動力はどこにあるのでしょうか?

 幼い頃に父親を亡くした境遇は大きかったと思いますが、それだけでは25年間も引き籠り、修行を続けることはできないでしょう。想像ですが、新しいことを知り、難しい経典を理解していくことに面白さや楽しさを感じていたのではないでしょうか。

 また、自らの仏法を追求する姿勢、妥協を許さない信念があったからこそ専修念仏という革新的な思想が生まれたのではないかと思います。

 

│当時、斬新でインパクトのあった法然上人の教えは、周りから批判され、法難に合うこともありましたが、長い年月を経て、現在まで多くの人々に信仰され、受け継がれてきたのはなぜでしょうか?

 誰でも簡単に実践できる教えであり、法然上人があらゆる階層を越えて、多くの人々に寄り添っただけでなく、その後の弟子たちの努力も影響していると思います。

 法然上人の遺像を作り、法然上人に救ってもらおうという信仰(祖師信仰)を人々に広めていくことで仏さま、神さまよりも身近な存在として、庶民の間で定着していったのです。

 また、旧仏教の僧侶が行わなかった葬送儀礼などに関わることで、社会に必要な役割を果たしていました。その中で、庶民に対してお念仏を少しずつ広め、社会的な動乱を経て大きくなっていったのではないでしょうか。

『四十八巻伝』巻六

│開宗850年に向けての思いを聞かせてください

 内乱や疫病などが起こり、世の中が混乱した時代に法然上人は、浄土宗を開かれました。

 長年の修学においては、絶望的な出来事もあったようですが、善導大師の『観経疏(かんぎょうしょ)』の一節に出会ったことで、多くの民衆たちが平等に救われる道、お念仏にたどり着いたのです。

 宗教や歴史など様々な観点から、開宗までの経緯やその意義を見直す機会になればと思っています。

(聞き手・田口真理)

プロフィール

坪井 剛(つぼい ごう)

1980年、京都市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。博士(文学)。専攻は日本中世仏教史。京都造形芸術大学専任講師等を経て、現在、浄土宗総本山知恩院浄土宗学研究所嘱託研究員、佛教大学仏教学部准教授。