写真:「仏さまが鮮やかに見えるよう彫刻に工夫を凝らしました」とにこやかな表情を見せる森口さん
新しい納骨の形を探して
東京・浅草のかっぱ橋道具街通りの懐かしい下町の街並みから少し西に入ったところに、浄土宗正定寺がある。幕末の剣豪・島田虎之助のお墓があるなど、四百年余りの由緒をもつお寺だ。
境内に入ると、正面から左手には、少し前まで子どもたちが賑やかな声を響かせていたとうかがい知れる鉄筋の園舎と、その園舎と一体になった本堂と庫裏が目に留まる。
しかし、大きな建造物よりも私たちの心をくすぐるのは、右手にある真新しいこじんまりした墓苑だろう。駐車場数台分のスペースを整地した跡地に、ちょうど1年前に完成した永代供養墓「月の光」である。
住職の原善順さん(35)が、「後継ぎがない人でもお墓を持てるようにしたい」という先代の遺志を継いで建立を発願した。

正定寺の永代供養墓「月の光」。手前に設置されたベンチから、こころゆくまで仏さまと向き合える
永代供養墓。
養子を迎えてでも、「家」を存続させなければいけない時代ではもうない。子どもや孫がいたとしても、みんなが同じ土のにおいを吸って暮らす時代でもない。だから、お寺がご縁あった方の遺骨をあずかり、末代までご供養する仕組みが欠かせない。永代供養墓や納骨堂の建立は、賛否を越えて「流行」になりつつある。
しかし、正定寺の「月の光」の優しいたたずまいは、永代供養墓というより、「祈りの場」の風情を宿している。
正面の黒御影石の石板には、原さんが知人に描いてもらった阿弥陀如来と二十五菩薩が精緻に彫り出され、穏やかに拝む人を包み込む。その手前の供花で彩られた円柱型の石台は、「月の光」のごとく私たちの心を明るく照らす。原さんも「ご納骨されたあと、週に2、3回お参りに来られる方もいらっしゃいます」とほほ笑む。
ご住職らしさをデザインに
この「祈りの場」をデザインしたのは、森口純一さん(55/礼拝空間デザイン室TSUNAGU代表)である。全国47都道府県のお寺で、四百四十以上の永代供養墓や納骨堂などの建立にたずさわってきた、お墓デザインのスペシャリストである。
永代供養墓「月の光」の種明かしをすると、ご本尊の背面には骨壺の安置スペースがあり、手前の石台の下は合祀納骨用のカロートになっている。したがって、永代供養墓としての機能を十分に備えている。それでいて、お参りした人はお墓であることを忘れて、仏さまにすっと目がいく。そこに森口さんのデザインの妙がある。
住職の希望や土地の空気をもとに、ひとつひとつ丁寧にデザインされているからだろう。森口さんが図面を描いたお墓は、どれひとつ同じものがなく、どこのお寺でも風景のなかに自然に溶け込む。そこにはお寺への深い敬愛の念がうかがえる。
「この30年、ご住職はずっとお寺離れに怯え、将来の不安に駆られてきました。でも、お寺があり、ご住職が暮らしているだけで、かけがえのない財産だと思います。ゆっくりとお話をうかがいながら、ご住職のお人柄にふさわしいお墓になるよう心がけています」
お寺、元気になあれ!
境内の一角に、「私も入りたい」と思わせるような素敵な永代供養墓ができると、お参りに来られた方が、「うちもそろそろ考えないといけないんです」などとお墓の話をつい口にする。従来のかたちの家墓を建立される方も出てくる。お葬式のことも住職に相談したくなる。住職もよいご供養ができるように張り切り出す。良いうわさは口コミで広がり、地域に愛されるお寺になっていく。
自信を失っていた住職の姿は、そこにはもうない。「お寺をもっと知ってもらいたい」と意気込み、寺報づくりに精を出し始める住職も多いという。
森口さんは、「お寺が元気になるのが、かけがえのない喜び」と夢見て、相談を受ければ全国各地のお寺を訪ねて飛び回る。次に新しい「祈りの場」ができ、人々が信仰を取り戻して活き活きと暮らし始めるのは、あなたの街かもしれない。
(取材・文 池口龍法)
※ 月刊「知恩」には森口さんの寄稿「永代供養墓のおはなし」を連載中です。
森口さんデザイン「祈りの場」
プロフィール
森口 純一(もりぐち じゅんいち)
1966年、東京都板橋区生まれ。墓装用品メーカーを経て、2018年に礼拝空間デザイン室TSUNAGU代表就任。全国47都道府県の寺院で永代供養墓を設計、さらに永代供養墓をきっかけに参拝者目線の布教活動をデザインする。仏教伝道を基盤に、お寺の存在価値を高める活動を展開中。